無防備

 歯医者さんで順番を待っていると、前の患者さんが扉を開けて出てきた。僕と目が合うと、その日の天気のことを話し出した。やっと暖かくなりそうだったのに少し冬に後戻りした感のある日だったが、それを嘆くような内容だった。昼の4時頃だったのだが、外の仕事の彼女は、患者が少ない時間帯を狙って現場から直行して来たのだろう、仕事着のまま、それも汚れていくらの仕事だから、見方によってはだらしないような服装だった。でもお喋り好きの彼女は、ニコニコしながら歯医者の待合室などお構いなく大きな声で話した。時々薬局に来る人で、薬局に来たときは立場上僕が接待するのだが、外で会ったが百年目で、ほとんど彼女が喋り続けた。対等と言うより押され気味だ。服装だけでなく、心の底まで普段着の彼女はまるで無防備な日常を僕の前で晒した。 僕は彼女が会計をすませて帰っていくまでのほんの数分の出来事が、田舎で暮らすことの最高の特権のような気がした。何ら飾らない服装、言葉遣い、表情、その全てにおいての無防備さこそが、心の平安の基のような気がしたのだ。1日中戦い続けているこの国の、特に都市部で暮らす人達の緊張感とは対角線にある。勝ったり負けたり、出し抜いたり出し抜かれたり、鋭角の接触がない人間関係の中で多くの歳月を生きて来れたことの価値を、その女性の「さよなら」と言う挨拶の中で確かめた。