餌食

 遠く雪国で、お墓の管理小屋で暖を取っていた人達が、一酸化炭素中毒で亡くなったり意識不明になっていると言うニュースを聞いて、僕はすぐに放射能がまき散らされた所で未だ暮らす人々のことを思った。一酸化炭素は無色で無臭だ。触ることも出来ない、見ることも出来ない、臭えない、味わえない。五感でその存在を感じ取ることは出来ない。もうろうとした意識の中で、ひょっとしたら悔恨の念でその存在を推定できるのが落ちだろう。余程神経を研ぎ澄ましても、誰もその脅威からは逃れることは出来ない。  なんて似ているのだろうと思った。あの放射能に。違いは、一酸化炭素はあっという間に勝負をつけるが、放射能は時間差攻撃だ。毎日少しずつ細胞の中の遺伝子を破壊し、体内にあってはならないものを作り続ける。やがてそれが増殖し身体を破壊していく。  誰もがそうだが、存在を感知できないものに関して人は無頓着だ。恐ろしいものといくら説明されても、目の前に存在を気づかされない限り、恐ろしいとは思えない。だからこの史上最凶の物質をばらまいた奴らも、その心理を利用してのうのうと暮らしておれるのだ。何ら気にしない人達のいつもと変わらない風景に、あいつらは安堵しているだろう。やがてやってくる恐怖の光景も、時間差だからとんでもない理屈をつけて責任を回避するだろう。過去の公害事件と同じ構造だ。人の良い人達が又泣かされるのも見えている。  どこかの町が「帰村宣言」を行うと言う。まるで破滅へと向かって行進している映画の中のシーンのようだ。平時に良いリーダーを選んでいなかったツケをこの国の至るところで払わされているように見える。もう幾年生きておれるか分からないような老人達の強欲の餌食に、東の人も西の人もならないように気をつけて欲しい。