眺望

 マンションの10階のベランダが、透明のガラスで出来た手すりなら、高所恐怖症の僕でなくても恐ろしいのではないかと思いきや、妻もその女性も何食わぬ顔をして、手すりにもたれて景色を堪能していた。本来なら分厚い壁で被われるだろうバルコニーが透明だから、部屋に寝ころんだままで穏やかな瀬戸内海が遠くは四国や小豆島、近くはヨットハーバーに浮かぶヨット達が一望できる。 瀬戸内市唯一の高層マンションが、僕の散歩エリアに出来たときから一度中に入ってみたかった。ただ、物欲しそうにその下を歩いていたら何を言われるか分からないから、如何にも興味なさそうにその下は歩くことにしていた。その下で牛窓の人に会ったときなど「何号室に住んでいるの?」と先制攻撃を仕掛けていた。相手もさるもので「いくらしたの?」などとジャブを返してくる。お互い買えないもの同志がよそから来た「買えた人達」の下でさえないギャグを応酬する。 知人女性が突然やってきて、そのマンションを買うと言った。それに便乗して一緒に中を見学させてもらった。その女性は牛窓の穏やかさにひかれたみたいで、土地の風情や人情をとても評価してくれていた。1週間前に下見していたらしくて、とても気に入っていた。そんなに素敵なのかと若干首は傾げ気味だったのだが、10階からの眺望は想像以上だった。とても何十年住んでいた僕の町とは思えなかった。どこかのリゾート地のホテルでくつろいでいる様そのものだった。僕らが気恥ずかしくなるほど牛窓を絶賛してくれる人が時々いるが、この景色なら決して後ろめたくなる必要もないと思った。這いつくばるように送っている日常空間とは隔絶された空間があることを知った。 決してレジャーの町ではないのに多くの人が来てくれることに違和感を持っていたが、この町のこの景色だからこそ心に響く人達がいるのだと知った。その女性が、アクセスが不便だからこそ居心地の良さが残ったと逆説的な表現をしたが、なるほどなあと頷ける。住んでいる人間には何不自由はないが、その不自由で防いできたものもあるのだと教えられた。眼下を海猫が飛び、漁船が遠慮がちに水面を切る。堤防の上で小さな人影が竿を降ろしている。薄汚れた白衣で懸命に漢方薬を作っている日常が、体育館の屋根から滑り落ちたのが見えた。