禁じ手

 これは禁じ手かもしれないが許してもらおう。今まで二人にしたことだが、どちらの家族にも喜んで頂いているし、本人もずいぶんと楽なそうだから。 ある訴えで訪ねてきて頂いたが、その治療を漢方薬でしている間に、家族からの訴えでこそっと本人にとっては目的外の処方を追加した。本人もご家族も、僕が信頼しているから、又その新たな要望が一方的に家族だけを利するものではないことが分かるから、その様な禁じ手を行使した。この様な場合は、僕を信頼ではなく、僕が本人や家族を信頼していることが大切なのだ。改善すべき症状が、本人にとっても家族にとっても望まれるものでないと、企ててはいけないことだ。ただ効果が現れて、本人が楽になり、何となく家族がしっくり行っている姿をみると、してやったりと思ってしまう。  出来上がった薬を販売するだけならこんな喜びは得られない。処方せん通りに薬を作るだけでも遭遇できない喜びだ。立派すぎる人は滅多に来ないし、礼儀を知らない人も滅多に来ない。この町がそうしてくれたのか、僕自身がそれ以外の磁石しか持ち合わせていなかったのか分からないが、心を傷めながら仕事をこなす必要がないことは大いなる救いだ。 初めて相談に来たとき感激して手を握って涙を流してくれた人が、今日決して越えることが出来なかった壁を越えたことで感激して涙を流してくれた。70億分の1の人と巡り会って、喜びを共有できる不思議を時に感じることがある。禁じ手でも、奥の手でも、やめ手でも何でもいいから、縁が出来た人には少しでも不快症状から抜け出て欲しい。特に言われなき症状からは。