うっちゃり

 僕がお世話させてもらっている勉強会に夫婦で来ているのは一組だ。二人は高齢化しているメンバーの中では一際若い。僕の娘が加入する前まではダントツだろう。ただその年齢が世間で若いと評されるかどうかは別だが。二人の特異さは二人とも調剤薬局で働いているってこと。他のメンバーは全て開局者だから、これ又二人だけの特徴だ。二人に漢方を勉強する理由を尋ねてみた。分かったような分からないような答えだったが、「知識を得るため」のような結論でいいのかなと思えた。色々な思いを簡単な言葉にまとめる方が難しいのかもしれないが、僕達のように得た知識を即座に患者さんに反映できる立場にはなくて、それでいてあの熱心さは何なのだろうと、勉強する後ろ姿を見ていていつも思っていた。  勿論その知識を反映させる機会がないことはないらしい。医師によると二人の知識を信頼して尋ねてくれることもあるらしい。反面、とんでもない処方を見る機会が多くて、立場上それに口を挟むことも出来ずに、処方せんに書かれたままを効果が期待できないことが分かっていても調剤しなければならず、忸怩たる思いをすることも多いらしい。二人の知識があれば処方設計の所で介入できるはずだが、勿論医師にそんな度量はないだろう。ある超有名メーカーの漢方薬だから効かないのか、元々処方がくだらないから効かないのか分からないけれど、効いている人は少ないと言っていた。それに、どんどんくだらない処方が増える傾向にあるとも言っていた。  僕がしばしば懸念を書いているが、とても貴重な漢方薬の原料を医師とドラッグストアが金儲けのために枯渇させている。法律的には何ら問題はないが、倫理には反するだろう。山林破壊と同じではないか。僕は漢方薬を30年勉強して営業の中心にしているが、それでも漢方薬しか期待できない人、漢方薬が他のものより確率高く結果が出せる人以外には、漢方薬を使わなかった。経済の正義が庶民の正義と一致しないことは分かっているが、経済人も家庭に帰れば一市民だ。行き帰りの電車の中で、心の衣服を着替えてどうする。土俵際に押し込まれて後がないことに誰もが気がつかなければ。どの分野でも、うっちゃりが通用しなくなったのは明らかだ。山が高いほど落とされる谷も深い。