怪しい人

 ある若い女性が、漢方薬を取りに来たときに、彼女が腰掛けるだろう椅子の丁度死角になるところのソファーに一人の男性が腰を下ろしていた。僕と10分くらい雑談をしていたのだが、彼女が入ってきたときも話をしていて、彼女にとって見れば僕が独り言を言っているように見えたかもしれない。ただ、その男性が気を利かせてソファーから立ち上がろうとしたので、彼女は人気を感じて振り返った。まだ男性はショーケースに隠れてみえなかったのだが、不安そうな彼女にすこぶるありふれた言葉をかけてしまった。「驚かないで、別に怪しい人ではないから」と。彼女は、気にしないで下さいという風な雰囲気で笑顔を浮かべた。ただ僕は怪しい者ではないと言っている途中から、とんでもない間違いをしていることに気がついた。ふと出てしまった言葉だがそれは全く正しくない。正しく言うなら「怪しい人だから用心して」だった。  ショーケースの陰から出てきた男性は、日に焼けて、髪は耳の上あたりだけあって、歯は数本を残しているだけだから見方によれば牙のように見える。それでニタッとされたら夜なら恐ろしいだろう。幸いまだ日が高かったので驚くような素振りはなかったが、まさに怪しい人だったろう。その男性は一度薬局から出ていってすぐに「ヘルメットを忘れた」と言いながら帰ってきた。僕ら二人はきょとんとして見ていたが彼の言うヘルメットは、よれよれの野球帽だった。ソファーの上に忘れていた。彼はそれをかぶりながら「ヘルメットの上にヘルメットをかぶるんじゃ」と言った。僕にはその光沢のいい頭をヘルメットと比喩してのギャグだってことはすぐ分かったが、彼女は分からなかったみたいで反応はなかった。 彼女にとってはそんな珍しい光景が繰り広げられる田舎の薬局だが、インターネットの中で僕の薬局を見つけたとき「運命を感じた」らしい。彼女が長い間苦しめられている過敏性腸症候群が治るだろう薬局が同じ岡山県にあったからだろう。3回すでに通ってきてくれているがずいぶんと元気にかつ明るくなってくれた。控えめで清楚なところはそのままに、ただ一つこの乗り越えられない壁を乗り越えて、言われなき行動のブレーキを全て解除して欲しい。もっと自由に、もっと才能を生かし暮らして欲しいと思う。  いつかあのおじさんの漁師ギャグに大笑いしている彼女を見てみたい。その時はきっと完治している。