危険

 朝からもっぱらの話題は「台風が来なくて良かったね」だ。何人の方と同じフレーズで会話しただろう。この話題に触れない人は数えるくらいだ。それだけ何年か前の台風被害がトラウマになっているのだろう。僕も深夜、母の家に入ってきた1メートルを優に超える高潮から逃れて高台に避難したし、多くの家が床上まで浸水した。何か余程条件がそろってのことで以来そんなことはないが、台風の直撃コースの予報に誰もが神経質になっている。 もうそろそろだなと覚悟を決めかけている頃から、漢方薬を数組が取りに来た。こんな時間に来れるのとこちらは思うが、県外の方を含めて全員が都会の人で、凡そ台風など恐れるに足りずって言う雰囲気だった。同じ時間に来た地元の人の不安げな会話とはうって変わって、ほとんど関係ないと言わんばかりの落ち着きようだった。恐らく都会人にとって台風は雨と風が強い日というだけで、不便だけれど危険ではないのだ。ところが田舎の人間にとっては、不便でその上に危険なのだ。準備や後かたづけも必要で、かなり無駄な動きを要求されるものでもある。 ところが、僕なんかよりもっと危険と隣り合わせている人がいて、昨夜最終で飛び込んできた人は、さっきまでカボチャを取っていたというのだが、隣の畑の主がいなくなって、荒らしてしまっているから、マムシがわいて自分の畑にはいってきて、カボチャを取ろうとしているときにカボチャに隠れていて恐ろしいと言っていた。普通の蛇なら逃げるのだが、マムシは鎌首を上げて向かって来るとも言っていた。それを笑いながら話すからお百姓は度胸が据わっていると思ったが、僕ならその場で即廃業して俳優になる。  僕もなるほど田舎で暮らしているが、ここまでの危険はない。自称牛窓銀座に住んでいるから牛窓の中では都会人だ。この手の話なら関係ないと言わんばかりの余裕で聞ける。住む場所、就いている職業によって危険も表情を変える。危険を知らないことが最高の危険が今息をひそめて全国で蔓延している。この危険は風を起こさないし雨も降らせないし鎌首も上げない。心の目で見て、心の舌で味わい、心の鼻で嗅ぎ、心の手で触らない限り理解できない。今研ぎ澄ますべきは五感ではなく知性だ。