生き病

 「腰が悪くなること程、辛い病気はないね、外を普通に歩いている人を見たら腹が立つ」と、さも当時を再現するかのように薬局の外を振り返った。残念ながらその時薬局の外を歩いている人がいなかったから、映画の回想シーンのようにはならなかったが、本人にとっては悪夢だったのだろう。ところがこういった言葉を聞いて単純に同情するような僕ではない。「みんな、自分の病気が一番不幸だと思っているよ。首が悪い人は首が、水虫の人は水虫が、潰瘍の人は潰瘍が、ウツの人はウツが」と言うと「それはそうだけれど」と照れ笑いした。「どうして自分より年上の人がごく普通に歩いて、自分が歩けないのかと思ったら腹が立つんだろう」と言うと「自分より若い人なら許すことが出来るけれど、お年寄りが普通に歩いているのは腹が立つ」と答えた。正直な人だ。誰もがそう思うだろう。でもさすがに言い過ぎたと思ったのか「自分に腹が立つんよ」と付け加えた。  僕にとっては他人にでも自分にでもは余り問題ではない。その様な人が少しでも他人も自分も許せるようになってもらえるように努力することだけだ。医者でないから死に病はお世話できないが、生き病ならお世話できる。病気という孤独な戦いを要求される人達の苦痛が少しでも減ればいい。そして不幸すぎない人が少しでも増えればいい。幸福すぎる人ばかりが眼の中に入ってくるような社会になってしまったから不幸すぎる人が置き去りにされている。誰もがふとした契機でその仲間入りしてしまう危険性をはらんでいるのに、見ない振りをするようにしつけられてきたから気づくことが出来ない。危ないと声をあげれる人が少なくなったのだ。残念ながら現代社会は危ないことにさえ気がつかない程危なくなっているのだ。