雨漏り

 鉄筋コンクリートの家なのに泣かされることは多い。木造からこちらに替えたときにはその強いイメージばかりが印象の中に占めていたから、こんなにメンテナンスが必要になるとは思ってもみなかった。この種の事を世間では先入観というのだろう。どうも僕はこの先入観に裏切られるばかりする。いや、裏切られるからこそ先入観というのかもしれないが。  鉄筋なのに雨漏りすると言ったら、多くの人が不思議がる。だけど結構それがするのだ。防水加工は5年もすれば効果が薄くなるからと言われ、何度か倹約しながら業者にお願いしたが、目を見はる効果は2年と持続しない。そのうち嘗てのように雨の度に天井にシミを作り、壁を水が流れる。誰か完璧に治してくれる人がいないのかなぁなんて、その種の人捜しの件は漠然といつも頭の隅にあった。  ふとしたことで漏らした悩みを若い電気屋さんが聞いて、今日ある業者を連れてきてくれた。嘗ては専門業者なら必ず直してもらえるものと思っていたから、丸投げで任せていた。でも数回裏切られると最早直らないのが当たり前と思ったりしている。期待してはいけないのだと消極的になってしまう。今日紹介されたと言ってやってきた業者もほとんど期待していない。上手くいけばラッキーくらいな冷めた気持ちでいる。スーツ姿の2級建築士、リフォームの肩書きも持っていた。もう1人はまだ若くて作業服を着ていた。そして3人目はほとんどホームレス状態だった。それでも少しでもよくなればと言う気持ちで淡々と数ある不具合を説明した。この3人が今までの人達と違ったのは、ひつこく現場を点検しとくにスーツとホームレスが意見を交換し合っていた。どちらかというとホームレスの方が言葉は下手だが主導しているように思えた。スーツがホームレスの意見を聞いているような場面が多かった。二人で原因を懸命に探っていた。懐中電灯ではげた天井板の間だから中を覗いたりしていた。嘗ての業者にはそれはなかったように思う。そしてホームレスが最後に「水漏れはやりたくないんです。難しいから」と言った。僕はこの言葉は正直だと思った。難しいものは難しいと認識して、だからこそ挑戦してやり遂げてほしいと思った。僕らの仕事と全く共通しているのだ。だからこそのモチベーションが、努力や向上を保証してくれるのだ。  帰り際、ついでに見せた外回りのある箇所で、ホームレスがある管を指でたたきはじめた。そして「この辺りがおかしい」と言った。風呂の配水管の詰まりもお願いしていたのだが、その原始的な方法がおかしくもあり心強くも思った。まあ、何か期待できるようなものを見つけないと、自分を納得させることが出来ないのだ。今回も又無駄なお金を使うのかと、後ろ髪を引かれっぱなしの依頼だから。やりたくないと本音を言えるホームレスの正直にかけたいが、「自信はあるけど実力がない」とうそぶく僕みたいな人間もいるから、今度こそは冷めまくって冷ややかな視線を送ってやろうと思う。  誰かカリスマ雨漏りさんいないかなあ。