一長一短

 所変われば何とやらで、又一つ利口になった。  ブラジルでは小学校から留年があるらしい。昔のことですかと尋ねたら現代でもそうらしいから、徹底したものだ。ガキ大将でもさすがに留年すると恥ずかしいのか結構奮起して勉強するらしい。逆にその時点でドロップアウトしてしまう子もいるらしいから、やはりどんな制度でも一長一短がある。一長も一短も教えてくれたが、教えてくれた人はその一長のほうに価値を置いているみたいだった。話しぶりから想像がつく。 その話を聞いていて僕はブラジルに生まれていなくて良かったと思った。あの死ぬほど長かった留年の月日を小学生から経験さされてはかなわない。小学生では同じ留年仲間と麻雀は出来ないし、一人孤独にパチンコの台と向き合うことも出来ない。タバコを根本まで吸いコーヒー一杯で数時間喫茶店で粘れないし、下手なギターを仲間が学校にいっている時間アパートでかき鳴らせない。  僕はそれらのものがあったからドロップアウトせずにすんだのだろう。危ういところだったと思い出すたびに恐くなるが、何かが引き留めてくれたのだ。でも僕には分かっている、その何かは、友情とか正義とか真理とかまして愛とかの立派なもの達ではなく、単に勇気がなかっただけなのだ。ドロップアウトして波乱に充ちた人生を歩むほどの勇気がなかっただけなのだ。起伏を求めながらも結局は舗装された平凡な道を選んだのだ。  それで良かったのだと年と共に思う。舞台の上で何も演じることは出来なかったけれど、舞台に上がる人の手伝いくらいは出来た。とくに舞台に上がることを躊躇っている人や諦めている人の背中を押すことは幾多もできた。遠慮気味に、でも懸命に生きている人と沢山知りあえた。ブラジル人のように褐色の筋肉は持ってはいないが、ひ弱だからこそ経験できたことも多い。一短の方に居心地の良さを感じて来た人生には、色白の力無い筋肉が似合うのかもしれない。