次善

 最初は遠くからにらまれていた。面識はなかったが、何か僕がした?と尋ねたいくらいだった。家族の漢方相談について来ていたのだが、数ヶ月間の家族の回復を見て本人もついに相談してくれた。  相談を受けたとき作られた病気だと感じた。社会によって作られ医療によって固定されたと感じた。環境によっては発症を回避でき、環境によっては酷な病名をつけられずにすんだのではないかと思った。病院の治療を邪魔しないように、病院の治療を側面から補えるように立ち位置を定め、その人の復活の為に懸命に漢方薬を考えた。その甲斐あって、笑顔が零れ、会話が弾み、心も体調も良くなっていった。家からも出るようになり、小さな冒険もした。そしてついに、仕事についた。なんと8年ぶりの社会への生還らしい。人の視線をもう恐れることが無くなり、人を許すこともできはじめた。再び他者と交わることが出来るようになったのだ。家族という名のシェルターからの脱出に成功した。穏やかな顔で入ってくるたびに僕は幸福感を感じた。僕らは1対1の仕事。芸術家やスポーツマンのように一度に沢山の人を感動させることは出来ない。小さな仕事ではあるが、喜びを身近で分かち合うことは出来る。 長い間この仕事をしていて出来ることと出来ないことの見極めが少し出来るようになった。やっていいこととやってはいけないことの見極めも少し出来るようになった。難病を標榜しカリスマを演じる人達もいるが、所詮薬局は薬局で漢方薬漢方薬なのだ。漢方の権威やカリスマが癌になって現代医学にすがらないのを見たことがないし、血管の病気になって現代医学以外で救われたのもみたことが無い。誰も最後は高度な現代医学の世話になるのだ。謙遜に謙虚に目の前の人に向き合わなければならない。僕らは所詮普遍性を持てない次善の職業なのだ。