雨音

 雨音で目が覚めるのは久し振りだ。冬の間、まとまった雨は降らなかった。久し振りにテニスコートも水たまりを作っている。畑作地帯の牛窓には灌漑用水が通っているから実際には困らないのだろうが、自然の雨は地面深くしみこんでいくのに比べて、スプリンクラーで散水したものは畑の表面を少し湿らせる程度だと、いつかお百姓さんが教えてくれたことがある。 およそ人工のものが自然のものに優ることはない。風にしたって温度にしたって湿度にしたって、水の流れにしたって自然に似せて作ることは出来るが、自然を越えて作ることは出来ない。 越えてしまったところで不自然になってしまう宿命を内在しているのだから。届かなくても越えても所詮人工で、そのものにはなりえない。  南半球で起こった雨による異常気象が再び北半球にバトンタッチされないことを望む。命を育む雨が凶器のように襲いかかるのが昨今だ。山も川も一瞬にして凶器になる。彼らに責任はないが狂気の人類が不遜にも傷つけ支配しようとしたものたちの反乱は想像以上だ。  雨音は心静かに聞くものだ。雑念を消し時間も消して聞くものだ。蛙になって聞くものだ。およそ恐怖で聞くものではない。