路上ライブ

 彼女が帰っていってから僕が思ったのは「血がつながっていないだけだ」と言うことだった。久々に帰ってきた娘と話しているようだった。県内の患者さんの中には同じような人間関係を築けた人が何人かいてこのように時々会いに来たり、様子を知らせたりしてくれる。薬剤師冥利、漢方冥利に尽きる。  数時間話したけれど、嘗て途方に暮れて高校の制服姿でやって来た女の子が、大学の卒業と就職の報告に来てくれた感慨にずっと浸っていた。幼かった女の子がとても優しい穏やかな立派な大人になっていた。言葉使いも丁寧で、社会人の入り口に立てる準備は十分出来ている。本来的に敵を作らない性格だから、きっと先輩達にかわいがられるのではないかと思う。  僕は、彼女と話をしていて、僕がずいぶんと長い歳月と沢山の人のお世話をして得てきた価値観を共有していることに驚いた。だから彼女の成長ぶりが僕のそれの何倍速かのように思えたのだ。多くのメールを交わして僕の考え方などが少しは役に立ったのだろうかとも思うが、多くの苦難が、本当の友人や恩人を造ったらしくて、ほとんど一言も否定の言葉が出なかったのは立派だと思った。これからの人生が素晴らしいものになるといいねと言うと、今でも素晴らしいと言った。嘗て学校に行けなかったことでこの子は何を失ったのだろう。ひょっとしたら何も失わなかったのではないかとも思えた。寧ろ得たものは莫大で、今では背伸びもしない卑屈にもならない自然な生き方を良しとしている考え方が印象的だった。  岡山県では就職率が50%余りらしいから、たくましく職を得たことを一緒に喜ぶことが出来た。働きながら路上ライブをするらしいから、いつか倉敷駅あたりで見かける人もいるかもしれない。この子は今、あの頃の僕と同じように歩き始めた。