疫学調査

 社会不安障害は1980年の米国精神医学学会において、まれな恐怖症として初めて登場した。米国では12%くらいの人が発病するらしい。もっともこれを病気と捉える人はさすがに少なくて、単なる性格の問題、内気と捉えることが多いからわざわざ病院にかかったりしない。  ただ海外の疫学調査の結果が気にくわない。社会不安障害を持っている人は、収入が低い、学歴が低い、独身者の割合が多い、離婚者の割合が高い、就業率が低い、離職率が高い、果ては鬱病、アルコール依存を伴うことも多いだって。なんだ要は落ちこぼれって言うことなのか。  良くしらない人達の前で何かをしようとするときに顕著で持続的な恐怖。恐怖している社会状況のなかで必ず不安が誘発される。いやな状況を回避し続けているなどと今回診断基準が細かく挙げられ、それをクリアした場合のみにパキシルを処方できることになった。こうした通達が出たって事は、今まで安易に出していたって事の裏返しだ。パソコンに向かい、患者の訴えを数分聞いただけで、長い間に築いてきた性格が変わるわけがない。何処まで効くか分からない薬を飲ませ続けられて、患者として生活することもまた新たな不安だろう。単なる個性か、患者か、それを当人は選択しなければならない。 日本では1930年代から対人恐怖症として研究はなされていたらしい。余程人を畏れなければならなかった状況が当時からあったのだと驚くが、戦争前だから天は人の上に人を作って、人の下に人を作ったのだろう。翻って現代でも、天に代わって経済が人の上に人を作り、人の下に人を作っている。何の裏付けのない人達にとって、上記疫学調査の結果などいわば押しつけられたものだ。個人も社会も寛容が苦手になっている時代に、臆病になったり心が折れたりするのは当然だ。  僕は社会不安障害は名前の通り、薬ではなく、社会が治すものだと思っている。忘れかけた、いや忘れなければたくましく生き抜くことが出来ない微笑みやユーモア、そして親切、あるいは失敗、あるいは不器用などが治してくれるものだと思っている。