出会い

 当時、この年齢で得た知識や経験や理性があればどれだけ楽で実り豊かな日々だろうと思うが、そのどれもがなくて怠惰に当てもなく彷徨うのが青春そのものなのだろうとも思う。持っているのは若者特有の生命力だけでそれ以外は何も持ってはいなかった。今日を生きる気概も、将来の目標も夢も何も持ってはいなかった。どうして塗りつぶしてやろうかと、白紙の時間を埋めるので精一杯だった。意味も意義も求めない単純な作業を繰り返していた。  そんな僕でも、その頃を過ぎて一応社会の中での働き手としての立ち位置を与えられると、それなりに努力した。同じように目標も夢も持たなかったが、その日を今度は懸命に働いて、埋めるべき余白など全くなくなった。寧ろキャンパスの方が小さすぎたようでもあった。あれだけ嫌いだった薬の勉強も、目の前に現れる人のために寸時を惜しんで勉強した。僕を再起動してくれたのは土着の人の寛容さだった。試験の問題を解くだけのための丸覚えから、目の前の人の苦痛を取り除く作業に変化したことで、勉強のモチベーションは格段に上がった。あれだけ頭に入らなかったものが、いくらでも入ってきた。願わくば大学に入った時にあのモチベーションがあればどんなに充実した学生時代を過ごすことが出来たのだろうと、あり得もしないことを考えたりもする。ただ、目の前の人のために懸命に努力する姿勢は、あの果てのない空虚な時間を過ごしたおかげであることは否定できない。あの頃築いた価値観がなければ今僕のところに来てくれている多くの人との、特殊ではあるがかけがえのない接点は出来てはいない。 今年も多くの人と知り合った。その誰もに僕は感動の出会いを感じる。この歳だからこそ出会えた人ばかりのような気がする。自分が体験した忌まわしい記憶だけがその人達の役に立つという皮肉な巡り合わせだが、善良の窮地に役に立てるなら否定するものは何もない。年末になって不慮の事故を伝える悲惨なニュースが後を絶たない。ただそこかしこに積み重なった不慮の人生は何故か伝えられてはいない。