収納

 朝早くから引っ越しの手伝いに行ったはずなのに、引っ越しのトラックが日が暮れてから我が家にやってきた。あっという間にプロの手で狭い駐車場が一杯になる。息子が捨てたものを、妻がもらってきたらしい。  これで何十年妻が待ちに待ったソファーのある生活が出来る。風呂場で使う棚、台所で使う食器棚、事務所で使う棚、名前は分からないが新しくそろえれば結構かかりそうな雑貨も色々そろっている。台所も風呂場もこれで一見整理がつきそうだが、今まで別に物が溢れていたわけではないから、その整理棚こそが余分な物になってしまいそうだ。 物がない空間を理想にしているから、物は基本的には買わないようにしているのだが、一気に物だらけになってしまった。もらってきた収納のための道具を収納したくなる。もらったら最後、今度は使えなくなるまで使いきるタイプだから、当分、収納する物がない収納器具の収納に困っている家になってしまいそうだ。 先日、あるところで沢山のスリッパを前に悩んでいるおばちゃんがいた。その女性はその中の古くなったものを捨てるように幹部の人から指示されたのだが、捨てるのを躊躇っていた。僕が通る度に「これを捨てろと言われるのだけれど十分使えるよね」と訴えるように話しかけてきた。僕が見せてもらったスリッパはとても綺麗で捨てる対象になるとは決して見えなかった。だから「もったいない」を何度も繰り返した。僕が通る回数と幹部が通る回数が同じなのか、何度も同じ質問をされ、最後は結局捨てないことにおばちゃんは決心をし、棚の一番上に隠すように置いた。我が家だったら新品に匹敵するような物を捨てろという神経が僕には分からなかったが、どう見ても人格はそのおばちゃんの方が優っているように思えた。 さて、夢のソファーはさっそくリビングに置かれたのだが、何となく見覚えがある。と言うよりモコが素早く反応して匂いをかぎまくった。そうだ、それは7年くらい前に息子のアパートでモコがくつろいでいたソファーだ。ソファーを買うような金がなかった息子が、卒業する先輩からもらった物なのだ。となるともう10年以上の年季は入っていることになる。お古のお古と言うことになるから、何となく夢の贅沢にも後ろめたさが薄らぐ。 僕は豊を目指して暮らしてこなかったから、豊を手に入れれたと思う。物に執着しなかったから、いい人に出会えた。足許にも寄りつけないほど謙遜な人にも多く会えたし、微笑み豊かな人も沢山知っている。良い行いをしていることにも気がつかない人を何人も垣間見たし、不器用なお節介にも助けられた。名もなき人達の精一杯に囲まれて暮らして来れたことほど豊かな日々はない。豊かさがたわいないお喋りの中であくびする。