晴耕雨読

 エネルギー、環境、金融問題を抱えているグローバル経済が崩壊すれば、多額の借金や資源を輸入に頼っている日本は国内総生産が今の半分になるかもしれないと予測し、自給自足に近い生活が出来るようにしているのですと、その人は言う。経済の話は全然分からないが、1980年頃の生活ぶりを想像すればいいらしい。牛窓に戻ってきてがむしゃらに、訳も分からず勉強会荒らしをしていた頃だ。あの頃何かの不便を感じていたかというとそうでもないし、社会に不満を持っていたかというとそうでもないし、将来に不安を感じていたかというとそうでもないし、となると結構幸せだったのだ。だからその頃に戻ると言われても僕には何ら問題はない。当時持っていなくて今持っているのは恐らくパソコンくらいなものだろうし、逆に当時持っていて今持っていないものはいくつもある。 僕も何年も前に良く口にしていた言葉なのだが「売り手の宣伝に踊らされ、使う必要がないお金を使い、多くの人が買い物中毒になって生み出されている今の経済の半分くらいはいらない経済だと思う」とはよく言ってくれたと思う。僕はこんなに上手くは表現できていなかったが「必要ないものを作り、必要ないものを買わされ、それで回っている経済」と言っていた。同じようなことを考えもっと上手く表現してくれた人がいて嬉しかった。全国紙だから沢山の人が読むから影響力も大きいだろうし。  彼の過ごし方は晴耕雨読そのもので、晴れれば菜園で自給自足を目指して働き太陽の光を浴び、雨が降れば読書をするそうだ。アメリカ人なのに質素な生活に価値を置いていた昔の日本人の生き方が好きなのだそうだ。何となく親近感を持つ。読み進んでいくうちに、彼の実際の生活ぶりが書かれてある。土、日、月の3日間は京都の自宅で晴耕雨読を地で行き、火、水は大阪や名古屋の支社を回り、木、金は東京の本社に顔を出す。社員800人には家庭用菜園の農地を借りるために2万円の補助を出し、自分の家はテニスコートを整理して菜園にして・・・ 何が親近感じゃ!読み終わったら疎外感だ。自由は恵まれている人には寛容で、下々には厳しい。選択する自由は、余程の背景がないと手には入らない。選択する自由を保証されても、選択肢の幅までは保証されないのだから、自由なんてあってないに等しい人も一杯いる。多くの人が晴耕雨読どころか、晴れの日も雨の日も耕し続けている、それも人様の畑を。本のページを捲って手のひらにマメが出来るか。