焦燥感

 元々礼儀正しい奥さんなのだが、何回もお礼を言ってくれた。それはご主人のパニック症状がほぼ完治したからではない。さっき恐らく最後の薬になるとご主人から嬉しい電話があった時、「こんなに自分が打たれ弱いとは思わなかった」と今回の自分を振り返ってふと漏らした言葉に「みんな同じだよ」と僕が返した言葉に彼がとても喜んでいたというのだ。ほぼ完治したことより、その言葉の方が彼にはありがたかったようだ。 いくらスポーツマンで気力にも体力にも恵まれている人でも、極度の疲労や不幸が重なると気が弱くなるのは当たり前だ。僕の考えだと、人は命を守るために、体のどこかを犠牲にして生き延びようとする。代表的なのが心臓と胃と腸だと思う。胸苦しくなったり、息苦しくなったり、あるいは胃の痛みに襲われたり出血する。又下痢もする。彼の場合は呼吸が苦しくなる症状だった。これはかなり本人としては辛い。心臓に症状が出る場合、命と関連づけて考えてしまうから心までやられてしまう。病院にかかれば当然安定剤が出るが、少しはいいという程度で日常生活をやっとの事で、でも根っからの真面目な人だから必死の思いでこなしていた。 昨年夏の重労働を漢方薬で乗り切ってくれたから今年も相談してくれたのだが、僕がもっとも心配していた症状を彼が経験していたので僕も懸命だった。でも絶対回復することは確信していた。焦燥感、こんなに辛くて恐ろしいものは他には余りない。それも決して他人には分かってもらえないから本人は解決のしようがないのだ。僕はこの焦燥感があるとないとで一線を引いて分けて考えている。込み上げてくる不安感、いてもたってもおれなくて歩き回り叫びたくなる。発狂しそうな恐怖とでも言おうか。 色々な面で恵まれている人は、ふとした躓きで一気に心を病むことがある。成功体験ばかりだと、基準はあくまですべてが完全に近く遂行されるところにおかれるから、自分の躓きが許せない。又それを人に晒すことはかなりの屈辱に写る。元々自分の能力を過大に評価していない人は、基準が低いから自分を許すことが出来る。こんな職業を30年もやっていれば、みんな弱い人という認識こそが素直に受けいられれるのだが、表面的な観察だけでは、他人は皆健康で気力が充実しているように見えてしまう。だからその大いなる誤解を基準に又自分が許せなくなるのだ。  一見強そうな人間っているものだが、そもそも強い人が魅力的だとは思えない。何に対して強いのかこれが又問題で、結構自分より他人に強いだけの人間が多い。自分の弱さを隠すために強がっているのが見え見えだから、哀れにさえ見えてくる。年齢と共に守るものが一つ増える毎に人は臆病になる。守るものが何もない青年の心のままでは過ごせない。人は皆弱くて強いもの、強くて弱いものではない。このことに気がつけば心を病むことは少なくなるだろうし、安定剤という化学物質を脳に届ける必要もなくなる。 僕らのほとんどはごく普通の人。喜びも悲しみも、健康も病気も、幸運も不運もみんな同じ。