悲哀

 今月、偶然同じ人が時間外に2度薬局に薬を取りに来た。1度目は日曜日にお子さんの単純ヘルペスの薬。2回目は、夜閉店後にご自分の胃の痛み。時間外にシャッターを開けることは別に珍しいことではなく、しばしばあることだ。時間を選んで不調は起こってはくれないから、時間外や休みの日でもいれば必ず応対する。これは父の代から当たり前のことで特別なことではない。ところがこのごく当たり前の行動にすごくその方は感謝してくれて、その方の実家あたりでは考えられないと言う。その方は僕が学生時代を過ごした岐阜の方なのだが、僕に言わせれば岐阜の方がはるかに岡山より人情味が厚かったから、偶然その方が居住していた辺りの事情でしかないと思っている。それとも僕の薬局みたいないわゆる生え抜きの地元の薬局が既に淘汰されて消滅しているのかもしれない。僕らは基本的には皆さん顔なじみだから、出来ないこと以外断ることはあり得ないのだ。それは美徳でも何でもなく、単なるしきたりでしかない。急を要するのなら薬局だけではなくどのお店も同様の対応をしてくれるだろう。 ところが、これが処方せんの調剤となると話が全く違ってくる。そう言った時間外には手数料を余分に頂けるのだ。いや、時間外どころではなく平日なら午後7時以降、土曜日なら午後1時以降、同じ薬を作っても問答無用で400円余分に頂ける。全く同じ仕事をしているのに何で400円余分に頂けるのか解せない。この料金を徴収しないとその筋からおとがめがあると言うからしぶしぶ頂いている。患者さんに説明のしようもない。どんな些細なサービス?もすべてお金に換算してしまう風潮にはついていけないことが多い。ほとんどの規則は力ある人達のために作られ、力無いものにはそれが返す刀で襲いかかってくる。正義なんて力ある人達のために作られた虚像で、いつでも容易に歪められるものなのだ。少数派の足許のおぼつかない泥の上でのバランス立ちは、サーカスのスターなみの強い心の鍛錬と孤独に耐える力を要するのか。いやいやそれとも楽屋でうなだれるピエロの悲哀をまとって生きることか。