受け皿

 こんな田舎の薬局を頼ろうとする発想はないだろうから、接点は全く考えられないが、産後の鬱でマンションから飛び降りるようなことは本来漢方薬で防ぐことが出来る守備範囲の中だ。もしその有名人が牛窓の人なら今日も又楽しそうに赤ちゃんを抱いていただろう。 出産という大事業を成し遂げたのだから体の中には歪みや滞りをきたしても不思議ではない。その方が当然で、だからこそ産後はゆっくりと休ませてもらうことが必要なのだ。有名人だからその辺りは保証されていただろう。むしろ一人で懸命に育てている若いお母さん達の方を案じる。恐らく高名なお医者さんに治療して頂いていただろうが、なかなか現代薬では本質に迫ることが出来ないのではないか。抗ウツ薬や安定剤などが処方されるのだろうが、なかなか改善しない人を目撃している。そうした篩から零れる人に漢方薬の受け皿が提示されれば希望の光を見つけることが出来るのに。一条の光さえ見つけることが出来れば、人の体はよい方に循環して自然治癒力が湧きだしてくるのに。漢方薬はその様な機序で産後鬱からの脱出を手助けする。これは僕の得意の分野でも何でもなくて、多くの漢方を勉強している薬局で出来ることだ。都会だからそんな薬局はいくつもあったはずなのだが、その種の世界と縁がなかったのだろう。返す返すもったいないと感じた。  漢方薬とは本来このようなものに使われるべきで、棚に並んだ商品を簡単なキャッチコピーで選択するようなものではない。又どうでもいいようなものを治す?のに使う物でもない。大切な資源で大切な人の健康を守るものなのだ。売るためのものではなく治すためのものなのだ。東北の街で起きた悲劇を伝えるニュースを見ながら、産後鬱の処方が頭の中を駆けめぐった。