どこも

 「旦那が帰ってきたら臭くて息を止めていたんです」奥さんのその言葉を聞いて僕はああ完全に治ったと確信した。  旦那が治ったのではない。奥さんが治ったのだ。笑い顔を見たこともなく、笑い声を聞いたこともなく、いつも伏し目がちで、最低限こちらの質問に単語で答えるだけ。最早これ以上の不幸は抱えることが出来ない臨界点で相談に来てくれた。  幾重もの不幸をまといながらも懸命に生き延びてきたその女性を僕は救いたかった。いつか又、素敵な笑顔を浮かべて欲しかった。長い時間を要したが笑顔も戻り、人を畏れることもなく行動範囲も広がった。そんな彼女が旦那の前で冒頭のような言葉をぼそっと漏らした。最早旦那を畏れることもなく言葉を選ぶ必要が無くなったのだ。  旦那は家族を養うために懸命に肉体労働をしている。2週間毎に奥さんについてきたが自分の汗の薬を買うのは何度も躊躇っていた。奥さんの調子が俄然良くなったところで自分のために出費した。僕の娘が作っている優れものの制汗剤をつけだして瞬く間に汗くささが消えたそうだ。足の裏にもつけて臭いがなくなったらしい。「あれはいいわ」と報告してくれた傍で奥さんが発した言葉なのだ。  どこにでもいる夫婦が、どこにでもないレベルの不幸を背負い、どこにでもいるような薬局のおじさんと出会い、どこにでもないような漢方薬で、どこにでもあるような家庭に復帰した。どこででも起こりうるような話だが、どこにでも転がっている話ではない。巡り合わせを喜んでくれたが、巡り合わせをより喜んだのは僕だ。本当の喜びは息をひそめてやってくる。華々しいそれなんて大したことはない。喜びとは、留まることが苦手な風の耳打ちに小さくガッツポーズを決めること。