外見

 隣町からもう20年くらい通ってきてくれていると思う。最初は本人の漢方薬を作った。そのうち息子さんの漢方薬がもっぱらになり、今に至っている。僕は問診はするが立ち入ったことはほとんど尋ねない。だから20年のお付き合いでも体のこと以外はほとんど知らないのだ。  その女性に関しては、ご主人が早くして亡くなり一人で子供を育ててきただろうこと、お子さんに障害を持っている方がおられ施設のお世話になっていることくらいしか知らなかった。そしてそのお子さんも数年前に亡くなった。僕より一回り以上年上だと思うが、苦労した歳月がもっと彼女をフケさせている。僕は彼女にたいして苦労した女性と言う印象だけ持っていて、せめて薬を取りに来た時には平生の苦労を忘れて一瞬の開放感でも味わっていただけたらと思っていた。だから美味しいコーヒー、あればケーキ、そしてチャップリンの映画などでもてなした。チャップリンの映画を見て、それこそびっくりするほど大きな声で笑うとこちらまで嬉しくなった。 今日漢方薬が出来る間、珍しく妻と世間話をしていた。妻は女性特有の知りたがりの面を持っていて、僕が決して踏み込まない範疇にまで話題を拡げていた。そしてついに息子さんの職業や出身高校、大学の話題になった。女性は躊躇って声を出さずに口まねだけで最初は答えたそうだが、「奥さんが尋ねられたから答えるんですよ」と言って、東大の法学部と答えた。僕が長い間彼のために作っている薬からは想像できないような学歴が飛び出したので、一瞬驚いたが、その後すぐにとても嬉しくなった。ああ、この奥さんにもこんな素晴らしいことが人生で起こっているんだと、安心した。苦労ばかりする人は不思議とどんどん苦労が続き、とても誰もが平等などと言う言葉が信じられないような光景を一杯見てきた。だから彼女に、そんなに優秀な息子さんがおられたことは僕の価値観に対しても救いだった。 それにしても立派なのは、20年近く東大卒の息子さんがおられることを一言も自慢しなかったことだ。我が家などその系統ではないからあり得ないが、もしあったら町内に言いふらし、新聞折り込みは勿論テレビやラジオで宣伝してしまいそうだ。持って生まれた謙遜か、それとも弟さんへの配慮か分からないが「お父さんに似ているんでしょう」と言った言葉にも何ら作為的なものを感じなかった。 僕は前回会ったとき、一段高い椅子に腰掛け彼を見下ろしながら、しゃべり方などについても注意した。自分の症状について余りインターネットなんかで勉強しない方がいいよとえらそうに注意もした。僕にとっては焦りすぎの患者さんだったのだ。今思えば、かなりの重責を会社で負わされているせい故の不調だったのだろう。謙遜なお母さんのためにも、当然本人のためにも健康奪取のお手伝いをしなければと思っているが、それにしてもあらためて人は見かけによらずと思い知らされた。見かけからすると僕が東大卒の方がしっくり来るだろう。高校時代、恐らく僕の数倍の点数を取っていたのだろうが、外見だけは負けない。