吐血

 2週間楽しませてもらった。たった一つの話題でずいぶんと薬局の中に笑い声が上がった。今日でこの手書きのポスターは終わりにする。 そのポスターはレジに貼り付けているのでほぼ全員の目に止まる。又薬を待っている間にも自ずと目に付く位置にある。急いでいる人はさすがに関心を示さないが、急いでいる人が来るような薬局ではないので、ほとんどの方が興味を示した。 「東大医学部に勉強が嫌いな人でも合格する漢方薬あります」自分は勿論、子供や孫でも余りに縁遠い学校だから、どなたも結構おおらかに受け止めてくれる。これが後一歩で及ばなかったとか、本当に目指す人にとっては羨ましくて、神経を逆撫でする言葉になってしまうのだろうが、僕の薬局に来る人でまずそんな人はいないから、大いなる肯定から皆さん入ってくれた。僕も彼の合格は嬉しかったが、全く見ず知らずの青年の快挙に心から喜ぶ人も何人かいた。僕の拙い漢方薬が少しは便乗して実力以上に輝くのだろうか。そんなことは全く期待していないが、これをネタに話が大いに盛り上がり、笑い声が普段の数倍も上がったのは、僕のもくろみ通りだった。人それぞれの感想を聞けて楽しかったが、一番傑作だったのは、歯周病で歯がほとんどなく、遠くからガスターをわざわざ取りに来る僕よりちょっと年下のおじさんだ。彼はつい最近吐血して、真っ青な顔をしてきたのだが、病院に行けと言っても意地でも行かない。恐らく医師にかかると、めちゃくちゃな生活を叱られるから行きたくないのだろう。体に悪いことは全部しているという猛者だ。本当は気が小さくて繊細なくせに見かけも言葉も悪ぶっていきがっている。彼が「おしかったなあ、ガスターを飲んでいたから娘は岡大だったんじゃ。漢方薬を飲んでおれば良かったなあ、東大にいけたのになあ」と言ったのが一番受けた。どう見ても東大はもとより岡大すら結び付かない人が言ったのでこれが一番面白かった。人は見かけによらなくて外見で判断してはいけないが、外見で判断してもらいたくて悪ぶっているから、そこは僕のつっこみが冴える。「漢方薬も貢献したけれど、親の遺伝子が一番大切よ。お宅の遺伝子が行っていなくて良かったじゃないの」と言うと、痩せこけた顔を尚しわくちゃにして「それはそうじゃ」と、数日前吐血した青白い顔に血色が戻った。  恐らく勉強などとは無縁に生きてきた男の、この上ない自慢のお嬢さんなのだ。いつもはガスターを手にするとすぐに帰っていくのに、自分で椅子に腰掛け長い間話をした。東大で盛り上がり、岡大で盛り上がり、こうしてみんな時々訪れる幸せを味わいながら生きていくんだと、何故か嬉しくなった。ほどほどの幸せっていいなあと、力まない人達の緩やかに打つ鼓動に慰められた。