自慢

 会計が終わったのに、何故か帰ろうとしない。不思議な沈黙が支配した。するとその男性は突然、いや本人としては自然な流れのように演じていたのだろうか、おもむろにポケットから携帯電話を取りだした。そして少し僕に背を向ける格好で携帯電話のパネル上で指を滑らせた。すると画面が指の動きに従って移動していく。テレビのコマーシャルで見ていたから僕にも分かった。画面と彼の動作の両方がよく見えるから、最高の立ち位置に彼はいることになる。ここで僕が驚いて賞賛の声を上げないと、彼の努力が無駄になる。  「すごいではないの、パソコンと同じじゃないの。これ携帯電話?」  「携帯と言うより、パソコンが電話になったようなものだな」  「だったら何でも出来るの?」  「パソコンで出来ることならほとんど出来るよ」  「だけど、何処で相手の声を聞いて何処に向かって喋ればいいの」  「この上の細い溝が耳で、下のが口。こうして画面を・・・」  と言って電話のかけ方を説明してくれるのだが、なかなかそのかけ方が分からないみたいだった。相手を捜し出す画面が次から次に出てきて、彼の交友関係が続々と登場する。これは見てはいけないと思って覗くことを止めて、彼の奮闘ぶりだけを眺めていた。  僕と余り年齢は違わないと思う。数歳彼の方が下だろうか。だけどこの好奇心は、数歳の差では収まらない。彼が昭和なら僕は明治だ。彼が江戸なら僕は安土桃山だ。思えば昔から好奇心は強くはなかった。だからやりたいことも少なかった。その結果、やりたいことより、やれることのほうがはるかに越えていた。やってみれば出来ることは結構あったが、極めるほど好奇心の後ろ盾がなかった。何でもすぐに飽きて中途半端になるし、そもそも挑戦は苦手だった。飽かなかったのは今のところ学生時代のパチンコと牛窓に帰ってからのバレーボールと仕事だけだ。これから新たに何かそう言ったものに遭遇できるかと言えばはなはだ心許ない。嘗てのように、いや、嘗て以上に心をひかれるものはなさそうだから。  自制しながらそれでもちょっとだけ自慢してみたい50男の方がはるかに僕より生き生きとしている。かまぼこ板の小さいようなものを出されて、ダイヤルもないのにどうして電話をかけたり受けたり出来るのか不思議だが、学生時代の僕を知っている人達は、未だ白衣を着て仕事をしている僕の方をむしろ不思議がるだろう。