言葉

 昨日は朝起きたときから調子が悪く、時々布団に入って休みながら仕事をした。昼寝などと言うことは出来ないたちだから、世間が動いているときに布団の中で眠るってのはなかなか耐え難い。でも横になっていないと持たないような気がしたから、下から呼ばれるまで数回2階に上がて横になっていた。 うつらうつらしながら僕は気がついた。気がつくくらいだから眠っていないのだが、頭の中に一杯色んなことが浮かんでくることに。それもとりとめのないことばかりが、無秩序に浮かんでくるのだ。ありそうなことも、あり得ないことも、ごった煮で浮かんでくる。眠ろうとして思考のスイッチは切っているのだが、言葉が洪水のように現れてくる。実際には色彩も映像もないのに言葉がそれらを引きつれてやってくる。夢かと思うが夢ではない。明らかに起きているのだから。高熱でうなされる子供たちと同じ頭の構造になっているのだろうかと、横になったまま考えた。 人間の特徴を表すのに何が一番適しているのか分からないが、言葉もその中の一つだろう。恐らく思考を整理するのに大変重要な要素なのだろう。喜怒哀楽を感情のおもむくままでは秩序は崩れてしまう。それらを統制するのに言葉は必需品だ。思考の交通整理みたいなものだ。又思考を発展させていく手段も又言葉だろう。口から音声として出さなくても頭の中で泉のように湧いてくる。それを上手く紡ぐのが詩人だし、小説家なのだろう。 僕はけだるさの中で言葉の洪水に身を任せていたが、ついぞ何ら輝く言葉とは遭遇できなかった。ただ、こんな時にでさえ休むことが苦手な我が低脳に同情した。