ベンツ

 ケンとメリーの愛のスカイラインがやたらテレビで宣伝されている頃、僕は繁華街にあるパチンコ屋に行くために毎日バスに乗っていた。バス停までは歩いて数分のアパートに住んでいたから便利だったし、学生で車を持っているのは珍しかったから、高嶺の花とも思えないくらい縁遠いものだった。ただ、そのコマーシャルで流れる歌い手の高音がよく響き、メロディーはハッキリ今でも覚えている。 牛窓に帰ると、公共交通が不便だったから車を買った。父は車の免許を持っていなかったから我が家にとっては初めての車だった。ゴーカートと間違えそうな小さな車だったが、やたら便利に思えた。バイクで配達するには大きすぎる荷物に困っていたが、そんなことからも解放された。その頃テレビでは「いつかはクラウン」とキャッチコピーが流れていた。いつか収入が増えると、あんな車に乗るんだと、日本中で洗脳されていたのだろう。  さて現在はどの様なキャッチコピーで財布のヒモが堅い国民に車を買わそうとしているのだろう。耳に残っている印象的な言葉はない。  昨日、妻が紫色のベンツに乗って帰ってきた。僕は助手席に乗ってみたが、その広さに過去の記憶が蘇った。学生時代、一度だけベンツに乗ったことがある。もっとも、後にも先にもその時一度だけなのだが。当時もっぱら僕の仲間は、自転車が唯一のタイヤ付きの乗り物だったから、いきなりベンツは一生ものの体験だった。僕の後輩に恵まれた家庭の男がいて、彼が親のベンツを持ってきたのだ。助手席に乗せてもらって柳が瀬の街を走ったのだが、運転している後輩がやたら遠くに見えた。その距離感が違和感を持って僕に迫ってきたので当時の映像が記憶にハッキリと残っている。なんだか車内とは思えない不思議な空間だった。  さて、紫色のベンツの助手席に腰掛けても何となく居心地が悪い。いつかはベンツとパクリのキャッチコピーを唱えても何となく実感がない。やっと手に入れたという喜びが湧いてこない。それよりも僕の不安が的中した。妻が乗ってきたベンツを母親の家の前、そこはバスが数台停留できる広場なのだが、に置いていたら、近所の人が数人出てきて邪魔だからと言って広場の端まで押しって行っているのだ。ああ、やはりベンツなどに乗ると近所の人に不評を買うのだと心苦しくなった・・・・・そこで目が覚めた。 到底手の届きそうにないものを欲しがる人間は、夢の中でもこの様だ。不釣り合いなものを欲しがると、手にする前から不安になる。この人にしてこの車と言われるものを持っていないから、まずは人格と経済力を近づけなければならない。ところが僕はその面で最初から躓いて周回遅れもいいところだから、到底追いつけない。30年遅れのケンとメリーのスカイラインでも唄っていればまだ可愛いが、口から出るのが「きよしのズンドコ節」だからもう救いようがない。