思案

 僕の回りにはそんなに頑張っている子がいないので実感がないのだが、頑張り屋さんはおおむね体調を過信してしまうから、頑張らないでとつい言ってしまう。普段僕がよく使う「頑張らないで」とはちょっと彼女の場合異質ではあるが、表現としては同じになってしまう。  根っから勉強が好きな子もいるんだ。いや好きとは聞いていないが、将来のために頑張らないと仕方ないと明確な目標を持って勉強できているみたいだ。決して体力に恵まれているわけではないが、その気力たるやどこから湧いてくるのだろうと思ってしまう。驚いたのは、みんなで頑張ろうとクラスで目標を書きあうように提案したと言うから脱帽だ。僕らの時代には受験生ブルースで唄われたように、表面的には遊んでいるように見せかけて陰で勉強する、試験の後は全然あかんと答えておいて後でショックを与えるのが常套手段だったから、このみんなで頑張ろうは青春映画さながらに見える。もっとも僕は唄のようには行かなくて、表面で遊んで裏でも遊び、全然あかんと公言したとおり全然あかんままで受験期は過ぎ去っていったが。 この母親は懸命にそのお子さんに勉強をさせまいとしている。立派なものだ。本気で頑張らなくなる漢方薬を所望された。勿論そんな薬はないから断ったが残念がっていた。あのおおらかさがお嬢さんにも遺伝していたら、少しは親が心配しなくてもいいくらいに手を抜いてくれるのだがと、妙な心配をする。受験で、ひいては競争で彼女のように鍛えられる子もいれば落ちこぼれの烙印を押されリングから去っていく子もいる。敗者復活のチャンスに恵まれなければ、再びリングには上がれない。勉強の動機付けを見つけることなくリングに上がり、奮い立つことなくゴングが鳴れば逃げ回るか死んだ振りをするしかない。歓声は勝者には心地よいが敗者には矢のように突き刺さる。  深夜放送で受験生ブルースを聴いて、世の中を斜めに見ていれば時計の針が笑っていた時代の行き着いた先が、今の過酷な「お受験」なら、サーカスから逃げ出したクマのように鮭を獲る思案にくれていた方がよかったのかもしれない。