武勇伝

 話を聞きながら、そんな時代だったかなあと怪訝な気持ちになったが、相手は自信を持って喋るし当事者だったのだから確かなのだろう。まだ幼かったからおぼろげな記憶しかないが、聞きながらとんでもない時代だったのだと呆れた。  入院して抗ガン剤の点滴や放射線治療で余程懲りたらしくて、退院後から始める抗ガン剤の処方箋をもってやって来た時、副作用を少しでも少なくできる漢方薬を作ってと頼まれた。色々雑談しているうちに今回の入院が2度目だという。1回目は高校生の時、オートバイで児島の方に行った帰りに横から出てきた車にぶつかって空中を飛び頭を打って2ヶ月ばかり入院したというのだ。僕が怪訝な気持ちになったのは、当時オートバイに乗る時にヘルメットは誰もしていなかったという話にだ。皆学生服で走っていたというのだ。これには驚いた。ほんとかなあと疑ってみたものの、当事者には勝てない。柔道をしていたおかげで受け身を自然にしたらしく、車を飛び越えて頭は打ったのだけれど死ななかったと言う。今から50年近く前は、僕の記憶から多くを消しているから、頭に浮かべられるものはほとんど無いのだが、学生達がオートバイを乗り回してひんしゅくを買っていたことは何となく覚えている。今日来た患者さんもその中の一人なのだが、当時の道路事情や走りっぷりを色々教えてくれた。まだ舗装されていない道路も多く、彼らの仲間も何人か死んだらしい。当時沢山の若者がオートバイ事故で亡くなったから、ヘルメットが義務化されたと教えてくれた。ヘルメットをかぶらずに100km近いスピードで走る度胸は何処から来ていたのだろう。退院後、町立病院である患者さんのために至急血清が必要だと言われ、岡山の病院を警察の保証付きでぶっ飛ばして往復した武勇伝も教えてくれた。待っていた人達が、あっという間に帰ってきたと驚いたらしい。命を失う時が考えられないくらい遠くにあるときは、このような無鉄砲も出来るが、それが近づいてきたら勇気までも無くしてしまう。抗ガン剤による極度の倦怠、吐き気、口内炎、下痢その他諸々の方が余程恐怖なのだ。もうあんな目には遭いたくないと言うのは、宙高く舞い上がった事故ではなく、ベッドの上でもだえる副作用なのだ。 「早く良くなって失業保険をもらわないと」と言いながら席を立つので「50年前の頭の怪我はまだ治っていないのではないの」と言いながら見送った。