つじつま

 変われば変わるものだ。久しぶりにやってきて、以前は毎日欠かさず飲んでいた肝臓の薬を買った。その時にレシートを頂戴というのだ。僕はその人にレシートを出したことはない。何万円の買い物をしたときにも出さない。勿論向こうもそんなもの単なるゴミだから受け取りもしない。それどころか、最初は10円単位のおつりも受け取らなかった。それにはちょっと僕も屈辱感があったから、さすがに必ず渡した。撲が25歳で帰ってきてからの常連だから、お互い気心は知り尽くしているのだが、右肩上がりの時代の恩恵を十分受けた彼の職業柄、これ以上は入っていけない、入ってこさせない境界は歴然とあった。 レシートの意味を深くは追求しなかった。何となく想像できるのだ。毎日のように岡山に飲みに出かけ、話はゴルフのことばかり。2年に1回高級車を乗り換えて名前ではなく肩書きで呼ばれていた。勿論一杯努力はしていて恵まれた人生だったと思う。そのまま終われるにはちょっと人生が長すぎただけだったのかもしれない。本人のせいではなく、時代のせいかもしれない。彼のような職業は恐らく今、味わったことのない不景気感にさいなまれているのだろう。ちょっと前なら一杯輩出している地方議員の強引な利益誘導で潤っていたのだろうが、さすがに現代では住人もそれを許さなくなった。 僕は、入り口に向かって背を向けている彼の顔をかすめて、居座った寒気の中で交通整理の赤い旗を懸命に振るガードマンの着ぶくれした姿を見ていた。派手な動きは少しでも筋肉に熱量を作らせるためだ。彼らは知っている。じっとしていたら寒さに侵入されるだけだって事を。だから理由を見つけては懸命に身体を動かし旗を振るのだ。  ガラス1枚で分けられた空間で、嘗ての栄光を引きずりながらまだまだ何となく上手くやれそうな人と、頑張っても頑張っても所詮ここまでと限界を突きつけられる人達との、到底混ざり合わない川の流れを見た。個人の歴史としては少しはつじつまを合わされているようにも見えるが、旗を振る人達とのつじつまはほとんど無視されている。あがいてもあがいても上手くいかなかった人達にどんなつじつまが待っているのだろう。何を期待していてと言えるのだろう。あごで使える立場にいた彼にとって、今なら分かる事って無いのだろうか。僅か何ミリグラムの紙切れにすら奪われる心があるのだから。