美談

 こんな事が本当にあるのだろうかと思うが、実際に薬局の道路を渡ったところに3匹の猫が数メートル間隔でじっとしているのだから、信じないわけにはいかない。道路からは小さな溝を越えたところだから車にはねられる心配はないが、それにしても飼い主の老人がまず道路を渡り、そこから手押し車を押してゆっくりとスーパーマーケットまで100メートルを往復、又道路を横切って家に帰る間、家で待つのではなく、道路を渡って数十メートル一緒について行った後、丁度薬局の前あたりでじっと待つ。まるで親が子供を見送り、また迎えることと同じ事をしている。まるで人間と同じ感覚があるように見える。 動物好きの人にしたら、例えば調剤室からその光景を見ることを楽しみにしている娘に言わせれば、足下のおぼつかない、手も不自由な老人を心配して見送るネコに見えるらしい。根性が曲がっている僕に言わせれば、スーパーで買い物をする老人のかごの中をいち早く狙っているようにしか見えないのだが。以前は1匹だけの行動だったのだが、今日初めて3匹が一緒に危険を顧みずに道路を渡り見送っている姿を見た。そのうちの2匹は少し小さかったから、親子なのだろうかと妻と娘は話していた。あたかも親が子供達になすべき事を教えたかのように想像し、瞬く間に美談になっていた。僕は早い者勝ちを勉強したのだろうと心の中で思っていたが、余りにも夢を壊してしまいそうな現実的な判断だから口には出さなかった。
 本当かどうか確かめてやろうと僕は外を眺めながら、おじいさんがスーパーから帰ってくるのを待っていた。30分近く経ったように思えたが、やっとおじいさんが薬局の前を通りかかった。すると植え込みから3匹の猫が出てきた。何処に行ったのだろうと思っていたらちゃんと待っていたのだ。この辺りは美談はまだ成立している。おじいさんのゆっくりとした足取りに合わせて、前に1匹、後ろに2匹がついた。前を行くネコは真っ白の大きなネコだ。おじさんが家の前にさしかかった頃、その先導していたネコがゆっくりと道路を渡り始めた。調剤室から100メートルくらい先をバスがやってきているのが見えた。この状況なら普通ならネコは一目散に走って道路を渡るだろう。ネコは余りきょろきょろしないでまっしぐらに走るからしばしば車にひかれているのだが。ところが僕の予想に反して、白いネコは近づいてきたバスにも、又逆から来たワゴン車にも動じることなく道路の真ん中で立ち止まった。慌てたのは恐らく両方から接近した車の運転手さん達だろう。ネコのすぐ前でゆっくりと車を止めた。ネコはしばらく考えていたが、意を決して家の方にゆっくりと歩いて道路を渡りきった。おじいさんはそれには続かなかった。2台の車が立ち去ってからゆっくりと渡り始めた。2匹の小さめのネコが傍をついてこれ又走ることなく渡った。夕暮れ前で交通量が多い時間帯に、一目散に走って渡らないネコなど見たことがない。僕のうがった見方だと、当然合流した猫たちは、おじいさんの買い物袋を狙うだろうと予想していたのだが、そんな様子は全くなかった。先導しようとしたネコと、ガードしたネコ。それ以外の意図は感じられなかった。やはり終始美談なのだ。作者のいない美談なのだ。 僕に文才があれば、これを一つのお涙頂戴の作品にして大儲けするのだが、残念ながらその様な素養はない。ただタイトルだけは考えた。「ネコの美談を食い物にする醜い人間の話」