せせらぎ

 何ら統計的な根拠もない全くの主観なのだが、僕は漁師やお百姓が犯罪を起こしたのを余り見たり聞いたりしない。新聞は毎朝30分かけてゆっくり読むし、テレビはニュースのハシゴだから、日々の出来事はかなり知っているが、この2つの職業がいわゆる3面記事を賑わすことは少ないように感じる。 この2つの職業の構成割合が低いことを割り引いても、悪いニュースに登場する機会が少なく感じる。どちらも基本的には田舎で生活し、自然相手で、わがままで欲深い人間様を相手にすることが少ない。魚も野菜も何も文句は言わない。それどころか命を自然から頂くと言う恵みを毎日実感できる。自分の力を過信するには自然は強大過ぎる。比べることも挑むことも出来ないから、自ずと謙虚にならざるを得ない。謙虚でなければ根こそぎ命をもって行かれる。単純な切り傷や擦り傷ではすまないのだ。 人間様相手でないから、えてして口べたではにかみ屋が多い。仲間内ではほらも吹くが、総じて対人関係が苦手で不器用だ。その分だけ裏表がないからこちらは信用でき、悪意のない言葉の変化球のやりとりもまた楽しい。鋭利な直球を避けてお互いを傷つけない生活の知恵を伝承しているのだろう。自営でもあり共同体でもあるところが又傷つけあうことを自ずと避けている理由かもしれない。  半農半漁の町で育ち、どちらの人達とも多く接触して育った事に感謝しなければならないかもしれない。一所懸命文句も言わずもくもくと働いている人達を見ながら育った。成長過程で偉い人はついぞ見なかったが、立派な人には多くあった。子供心に立派な人を一杯作った。世間の立派とは合致しなかったかもしれないが、僕には立派に見えた。 傷めた身体が唯一の勲章かもしれないが、それでもそれは光っている。新聞にも載らず噂にも乗らず、目には見えないが、その見えない勲章を見ている人は必ずいる。これ見よがしの洪水に飽き飽きしている昨今、照れ隠しの変化球のせせらぎが懐かしい。