防波堤

 つい最近書いた「デパス」の時もそうだが、睡眠導入剤睡眠薬)なんかでも、結構簡単に手にはいるのだろうなと思った。日本の東と西で偶然、それを利用したらしき犯罪を競い合っている。僕らの所には、しばしばメーカーが作った啓蒙書が届き、睡眠薬は安全だから医師の指示に従って飲み、勝手に止めないようにと書かれている。薬剤師の仕事は、薬を患者さんが勝手に止めるのを防ぐことと毎回強調されている。権威ある医師のコメントが載っていて、そこの所を薬剤師さんに期待していると必ず結んでいる。  ここのところだけで、ぼくの薬局がいわゆる門前薬局になる資格がないことが分かる。僕にも娘にもそんな気がないから良かったのだが。勿論仕方ないから、処方箋を持ってきた人には睡眠薬であろうが何であろうが、一生懸命飲むように言っている。それ以上は決して踏み込まないが、僕の薬を求めてくる人には決して安易に睡眠薬や安定剤に依存しないようにと言う。もっともそんなもの飲みたくないから尋ねてきてくれるのだが。勿論一時の避難所としてそれらの薬は必要なのだが、えてして一時の避難所が永久の住処になっている。それはそうだろう。その様な薬が必要になったにはかなりの複合要因があったはずだ。過労か心労か何かの不運か、それらを解決せずして一時の避難だけで永久に解放されるとは思えない。医師の前に座り、どのくらいの時間を割いてもらえているのか分からないが、恐らく薬を飲むことにだけに集中しているのではないか。どうしても投薬が治療の中心になり、幸せな医師と不幸な患者が対峙しているだけのような気がする。  ちょっとストレスが貯まって眠れないのでとでも言えば簡単に処方してもらえるのだろう。しかめっ面をしてみせるか、途方に暮れてみせれば医師などすぐに騙すことは出来る。おまけに今は薬も門前の薬局で手に入るから、薬剤師と顔見知りではない。顔見知りなら飲み過ぎではないのとか、大丈夫とかのいわゆる用意されたのとは違う会話もあり得るだろう。ところが今は、薬局は何かを指導すれば報酬がもらえる仕組みになっているから、全国同じような言葉しか行き交わない。マニュアル化した会話でなかなか嘘は見抜けない。病院をハシゴすればいくらだって殺人を犯せる薬が手に入る。昔は睡眠薬による自殺を心配していれば良かったが、最近はその種の薬は使われなくなったから勝手に止めることを心配するようになった。これからは、騙して沢山手に入れ殺人の道具に使うかどうかを警戒しなければならなくなった。  誰がこのような犯罪を防ぐ防波堤になれるのだろうかと思う。結構いい加減なことが日常に溢れているのが良く分かる。些細なこともいい加減に出来ずに病気になる人がそれこそ溢れているのに。幸せと不幸の溢れ競争、どちらが勝つ?