訛り

 優しい声で話す女性だ。自分では気がついていないのかもしれないが、若干の訛りが心地よい。限られた時間だから一杯話したとは言えないが、満を持したように最後に「私って本当に漏れているのでしょうか」と尋ねた。そう、そんな素朴な疑問を持ってもらえるようになるのが僕の漢方薬や天然薬、そして僕自身の存在理由なのだ。そこに至れば、もう出口は見えているのだ。 漏れていないと否定されるなら縁は初めから無いと思います・・・と最初から僕に言った人が何人かいる。僕は好んで縁を求めてはいない。出来れば処方箋と引き替えに薬を渡して手数料を頂き、それで生活が成り立つ収入を得られるならそれでいいのだ。そんなこと薬剤師だから簡単なことだ。どの薬剤師でもそれなりの収入は保証されている。縁は僕の青春時代の蹉跌と重なり合いすぎる人とだけに生まれる。いや、生まれた。決して作るものではない。  不幸にもこの僕と縁が出来た人を僕はとてもいとおしく思う。毎夜眠ろうと思っても一杯の顔や声や文章が浮かんでくる。どうしてこんなに素敵な人達が理不尽な苦しみの中に陥ったのだろうと哀しくなる。もっとも僕の青春時代の体験や、その後多くの人を観察して、この人達だからこそ落ちる穴があることを知った。職業柄、特に漢方薬を学んで現代医学では脱出できない方の力になれることを体験してから、縁が出来た人をより大切に思うようになった。  完治したら何をしてみたいのと尋ねたときのなんて謙虚なこと。ああ、それくらいのことが出来ないのか、たったそれだけが望なのかと、その慎ましさがいじらしい。夜陰に隠れて秋が忍び込んでくる。一人聞く星のため息が縁ある人達の孤独と重なる。