無防備

 レジで会計をする父親の嬉しそうな様子に思わず涙ぐんでしまった。漢方薬を作り説明をしてすんだから調剤室に下がって様子を見ていたのだが、数年来初めて見る光景だった。何かと誰かと結びつけて感動したのではない。ただ単に嬉しかったのだ。父親の思いがやっと届いたのか、娘が成長したのか分からないが、明らかに二人はいつくしみあっていた。嘗ては二人の会話などほとんど聞いたことが無く、僕の質問にも父親が全て代弁し、それをにらみつける娘の視線しかなかったのに。  妻を亡くしてからまるで母親のように細やかな世話をしていた。しかしそれは娘が成長するにしたがって娘にとっては負担になり、どんどん父親から離れていった。遠く離れても体調を思いやる父親は時々帰省した娘を薬局に連れてきたが、冷たく凍り付く空気に父も娘も僕には不憫に思えた。どちらも優しい心の持ち主であることは知っていたから余計辛かった。親心で持たした漢方薬も必要なときに最低限の飲み方で対処していた。僕の意図するところとは違った飲み方でなんとかしのいでいたみたいだ。 それでも社会に出たら、今までの体力ではさすがに通用しないことが分かったのか、今日は自分の言葉でちゃんと症状を説明し、僕の意図したところより沢山の日数分の薬を所望し、又新しい体調不安の相談も受けそれもまた沢山薬を持って帰った。僕が調剤室で薬を作っている間、コーヒーを飲みながら二人で小さな声だが喋り続けていた。圧巻は、今週お土産を配っているのだが、文房具セットを持って帰るのに、薬局でしゃがみ込んでずいぶんと長いこと選んでいた。僕は横顔しか見えなかったが、初めて見る少女の面影を残した姿だった。全く無防備に振る舞っている姿は初めて見た。中学生の頃から用心深く、うち解けることが苦手な子だったが今日は鎧を全部脱ぎ捨てていた。恐らく父親と喋り続けているから心の鎧も脱げたのだろう。この当たり前の光景を手にするのに二人は10年近くを要した。  どの様なのが理想の家族像か知らないが、微笑みあえる関係さえあれば大丈夫だと思う。決して合うことのない視線が部屋の空気を凍らせて結晶と化しても輝くことはない。何も太陽の輝き無くして光ることは出来ないように、いつくしみあう光りが無くして微笑みあうことは出来ない。