わだかまり

 やっとこれで30年来のわだかまりが取れた。所詮その年齢で訪ねてはいけない街だったのだ。訪ねた僕たちの方が悪かったのだ。  大学を卒業した春、後輩の運転で岐阜から富山経由で金沢の街に入った。唯一兼六園を見学し、その後はいつものことだがほとんど中毒のようにパチンコをした。どこの街に行っても、することは同じだった。そしていつものようにお金をすった。財布はその都度空になる、と言っても常にワンコインくらいしか財布の中にはなかった。もっとも心の方は数年来干上がっていて、それ以上枯れることはないから意外と当時は度胸が座っていたのかもしれない。暗くなってから、通りすがりの寺の境内に車を止め、窮屈な格好で座席で眠った。空が白みかけた頃、車の窓を叩く音で目が覚めた。お坊さんが駐車場代を要求しているのだ。駐車場と知って止めたのではないが、当然要求通りに払った。誰が払ったのか今では記憶にないが、よく払えたものだと思う。どこから見ても金がなさそうな車にどこから見ても金がなさそうな若者が乗っていたのによく金を請求できたなとも思うのだが、お坊さんには冗談ですます遊び心はなかったのだろう。 それ以来僕は金沢の街に対して勝手に融通が利かない街と決めている。生真面目な街と言う印象を持っている。たった一人のお坊さんに県庁所在地全部を背負わせるのは気の毒だが、人の気持ちなんてものはそんなものだ。自分の都合が全てに優先するのだから。  今日ある国会議員の秘書の方が訪ねてきてくれたが、話しているうちに彼が金沢出身だと分かった。若いのに、いや若いから?とても謙遜な人で、議員本人の謙遜ぶりにも負けない。彼に当時のことを話すと、金沢と言う街は「人生を生き急ぐ必要が無くなったら住むにはとてもいい街」と教えてくれた。そうかそう言われれば分かるような気がする。お坊さんにとっては見るからに好ましからざる若者達だっただろう。生き急ぐほどのテーマは誰も持っていなかったが、金をパチンコで使い果たし返り急ぐ顔には見えたのかもしれない。  仕事を引退してから、それこそゆっくりとした時間の流れに身を委ねることが出来るような境遇になればいつか又訪ねることがあるかもしれないが、その時は必ずパチンコで勝つ。でもやはり返り討ちにあって返り急ぐ顔になるかもしれない。