全開

 神経質なところがあるのに、ずぼらなところも多い。このような性格の人は意外と多いのではないか。僕のそのままを述べただけだが、勝手に拡大解釈している。ところが中には徹底して、厳格な人もいて、どこからも侵入を許さないような人もいる。その性格だから、やり遂げることも多いし、内容は確実だ。任せておけば完璧になおかつスピーディーにやり遂げてくれる。都合は全くいいのだが、他者の介入を許さないから、時として空気を張りつめたものにする。 他者に対して僕は比較的寛容だと思う。自分に対してはもっと寛容だから質は悪いが。例えば、ちょっとだけ世間の評価が低い人などの作品や善意に接すると、メチャクチャ感動してしまう。そして最大限にそれを生かそうとする。ところが何故かその種の人達にも厳格を徹底する人がいてつい僕は対立してしまう。ありがとうと言って全て受けいれれば、お互いが良い様に単純に思うのだが、そうも行かないらしい。全て条件を満たさなければ受け入れられないのだろう。その条件こそが人を差別していると思うのだが。その種の人達から見れば僕は無責任で場当たり的と見えるのだろうが、人を尊敬しないよりは無責任や場当たり的というレッテルを貼られる方が数段居心地がいい。  体を張って防波堤になるほど肉体は強靱でもないし、気も強くはないからチクリと風刺して退散してしまうのだが、かろうじて若干の正義感は満足させられる。もっともっとずぼらを極めて副交感神経全開でこれからは暮らしてみたいものだ。