新発売

 医師の6%が自殺について考えていたという医師会の調査を読んでいたら、丁度セールスが新発売になった鬱病薬の説明書を持ってきた。新発売だから1個仕入れてくださいとのことだが、薬の内容の重さとは裏腹に、単なる商品としての価値しか感じられない。所詮薬と言っても売買の対象なのだ。よく売れればそれで良いのだ。 勤務医の過酷な労働や、患者の不当なクレームは今更言うまでもなく周知の事実だが、自殺を考えているような状態の医師に身体を診てもらっているとしたら、何ともお互いが気の毒だ。いや、患者にとっては健康すぎて行け行けドンドンの医師よりは痛みが分かってもらえて良いかもしれない。そもそも、鬱々としたときに、元気すぎる人など会いたくもない。大きな声も笑い声もほとんど拷問に近い。 専門家でないから裏付けはないが、鬱は不自然から生まれ不自然なものでは治らなくて、不自然に戻っていっては治らないと最近思っている。何々のし過ぎの途方もない積み重ねで発症し、これでもかこれでもかと薬を飲まされ、元の現場へ戻っていけば何も変わっていない状況が待ちかまえている。嘗て耐えられなかった状況が治療の後には耐えられるって保証もない。おそらくもっと感受性は強くなって心は動揺するだろう。  僕は圧倒的な力でもって解放してあげるしかないと思う。責任からの解放。経済からの解放。しがらみからの解放。多くの経済的な援助、環境を変えるための援助、しがらみを断ち切るための人的な援助。それらの総動員を図らなければ何時までも患者のままに留まってしまうだろう。良い医者でも、良い薬でも限界があるのではないだろうか。  縁あって知り合ったそれらの人に接するとき僕が気をつけていることは、不自然に打ちのめされた至極自然な人達であるって認識だ。それを現代では病気というらしい。僕に言わせれば不自然を強いて不自然に思わない現代社会こそが病気なのだが、社会に飲ませる薬はない。