砥石

 お母さんの話を聞きながら涙が自然ににじんできた。仕事中だし、薬局の中だから、取り乱したところは見せれないが、文句なしで嬉しかったのだ。 所詮薬局だから、出しゃばったことはしてはいけないが、あまりにも気の毒で周辺テーマではなく、もろ主たる訴えに関しての処方変更を僕の方から申し出た。専門のお医者さんにかかっているから安心していたが、どう見てもこの薬をこの量で僕だったら家族に飲ますには勇気がいるなと感じていたから、出しゃばることを了解してもらった。勿論漢方薬だから病院の薬と併用可能という大きな担保はあるが、効果が出なければ出しゃばりも許されないだろう。幸運にも劇的な効果が出ているみたいで、ご両親の気持ちが少しでも安らいでくれたのが嬉しかった。 薬局が奇跡などを願ってはいけないが、僕はなりふりかまわずそれを願う。僕の実力以上のことが起こってくれることを願う。心を病むと言うことは誰にでも起こりうることだけれど、その当事者の苦しみは想像できないくらい深いもの。奇跡が起こって誰もがその苦痛から抜け出て欲しい。僕の薬のおかげでなくても良い、単なる偶然でも良い。苦しみの奈落から抜け出て欲しい。満を持した出しゃばりが奇跡を呼んで奇跡が持続して欲しい。  何でこんなに幼い子供たちがこの年齢ですでに人生に躓かなくてはならないのだろう。無邪気に校庭を走り回り、おしゃべりに花を咲かせながら友人と帰路に就くことすら出来ないのだろう。本屋で立ち読みをし、店屋でアイスクリームを買い、自転車に二人乗りして帰ることが出来ないのだろう。何気ないどこにでもある光景が、はるか異国の出来事になってしまうのだろう。こんな不公平に家族は耐えなければならないのか。能力があり、優しさがある人の介入によりいくらでも解決できそうに思うのだが、能力がある人は時間と優しさに欠け、優しさが備わっている人は能力と権限に欠ける。誰かが余程の決断をしないと置き去りにされる不幸は増殖し、哀しみの涙は氾濫する。名誉や効率は頑張る理由にもなるが、人格を否定する刃物にもなる。砥石に水を垂らすたびに刃物は研ぎ澄まされ幼い心に向かってくる。錆びていても欠けていても曲がっていても人は人なのに。よかれと思い頑張った大人達が作った世の中が、子供達を窒息させている。これからは大人達が懺悔をし、子供達を救う番だ。