厚顔

 毎日毎日面の皮の厚い人間ばかりを見さされるので、この国の人達の顔に魅力を感じなくなる。色々な分野を代表する人しかクローズアップされないので、色々な分野を陰で支えている人達の顔が見えない。厚顔はブラウン管からはみ出して醜い。 ほんの小さな褒め言葉にも顔を赤くして照れる。上手く生きることは苦手でも正直に生きる。上手く話すことは苦手でも言葉で傷つけることはしない。着飾ることは苦手でもものは大切にする。想いの何分の一も表現できない。そんな人の手で食べ物は口に入り、命は養われる。  昨夜、薬局を閉める直前に入ってきたお母さんと、結局1時間半くらい立ち話をした。腰も首も苦痛だったが、堰を切ったように喋り続けるお母さんの心が全て放流されるまで僕は話を聞き続けた。およそ期待とはかけ離れたところにお子さんは漂着したのだろうが、葛藤は親自身も成長させ、外に漏れ伝えられるよりははるかに熟成された人間関係を築いていた。  生きづらい世に生まれてしまったのだと思う。その繊細さの巡り合わせこそが、最も生産的で最も平和的で、最も尊敬される時代でなかったってことだ。ただそれだけのことなのだ。多くの芸術家が繊細故に作品を作り出せれたように、誰もが自分の手に届くところに、自分の頭の中に作品を創っているのだ。誰が優れて誰が劣っていよう。体の良い物差しなんか折ってしまえ。体の良い計りなど壊してしまえ。計り知れないものとは、そもそも計ってはいけないものなのだ