歴史

 7世紀がどんな時代だったのかさっぱり分からないが、日本から何か荷物を送ったときの荷札が、韓国で見つかったという新聞記事を読んだ。難波って意味を成す漢字だから、大阪あたりの人間が送ったものらしいというのだ。こんな発見を聞く度に、いつも驚かされるのは、何でそんな昔に外洋を船で渡る人達がいたのだろうと言うことだ。どのくらいの大きさの船で、何で動く船でいったい水平線の向こうまで行ってみようと思ったのだろう。そして着いた場所で、どの様に言葉の壁を乗り越えたのだろう。何も知らないから全てが驚きで、何も勉強して解決しないから常に疑問として残っている。今日のニュースを読んだときも同じ感慨に浸り、同じ疑問が残った。 ペリーが、いずれアメリカのライバルになると予言できたほどの江戸時代の職人技は、江戸時代に戦争がなかったからだとある学者が言っていた。なるほど、職人達が知恵を絞って技を競い合っている光景が想像される。幸せだっただろう、自分が作ったものがちょっぴり庶民の生活の質を向上させるとしたら。今は自分が作ったものと言うより、会社が作ったものくらいな愛着しかないのではないか。  僕らは15年から20年も学校に通い、毎日勉強という行為を繰り返した。さて、その現代人が、古代の人より優っていると証明できるものはない。僕らは今自力でこの海を渡れと言われても、目の前に見える内海の島にも渡る手段を考え作ることが出来ない。辞書を持っていても外国の人とコミュニケーションがとれない。ピラミッドも造れないし正倉院も造れない。どれだけ古代の人が優秀だったか分かる。  よく言われるように、何を歴史に学ぶのか知らないが、僕に言わせれば一番学ばなければならないのは謙遜ではないか。こんなに道具や情報が氾濫している中で暮らしても、現代人が最も得意としているのは殺戮と破壊なのだから。