営業

 荷物の受け取りの判を押しながら、久しぶりに見る顔だなと思った。以心伝心かどうか分からないが運転手さんが「久しぶりですね。」と言った。無いことに、その後に「うちも使ってください、すぐ来ますから」と言葉を続けた。嘗てしばしば荷物を持って寄ってくれていた人だが、おきまりのマニュアル通りの挨拶しかしたことがなかったから、それも顔はいつも出口の方を向いていて、心がないならむしろ挨拶もしないでと思っていたから驚いた。ああ、この数年のうちに彼は人間的に成長したのだとは思わなかった。むしろ、ああ、いつも目を逢わすことなく、勿論微笑むこともなく、淡々と仕事をこなしていた彼でさえ、営業の言葉を一つや二つ掛けなければならないくらい経済的に追いつめられているのだと思った。軽四トラックの配送だから、それも有名な企業ではないからなかなかこのご時世で楽な仕事をしているようには見えない。景気がよいときには下請けまで恩恵は及ぶが、不景気だと恩恵にはなかなかあずかれない。勝手な思い込みかもしれないが恐らく後者の推測の方があたっていると思う。  彼個人の人間性が僕のテーマになっているのではない。ほとんど判を押すだけの接点だったから、こだわりはない。不景気を歓迎するわけではないが、ある程度の生活の質の落ち込みは人を謙虚にするのかもしれない。大企業の落ち込みと小さな会社、あるいは個人経営の落ち込みとでは危機感が違うが、政府の後押しも得られず、それこそ自己責任で生きていかなければならない階層の人間にとっては、片手に微笑みを、片手に怒りをもって乗り切らなければならない。誰に微笑んで、何に怒るか、転んでもただでは起きぬ強かさが問われている。