ぎおん太鼓

 お母さんはすぐ分かったが、お嬢さんを認識するのには一瞬の間があいた。わずか4ヶ月前に会っているのに。それもそのはずだ、初めて訪ねて来てくれた時の印象は、目に力があり聡明そうなお子さんだなあと言う印象だった。過敏性腸症候群で悩んでいると言うには目に力がありすぎた。高速道路を何時間かけて訪ねてきてくれたのか分からないが、その甲斐あって順調に回復し、再び学校で活躍するようになってくれた。今ではリーダー的な存在にもなっているらしい。不安があれば本人が電話をしてきて、僕はその都度医学的な説明をした。相手が中学生でも大人と同じように対した。それを彼女は客観的に理解してくれて脅威のスピードで回復していったのだと思う。  わずか数ヶ月間の体調や心のありようが全く彼女を変えていた。数ヶ月前にはなかった顔の表情の中で、穏やかさが俄然存在感を増していたのだ。なんて穏やかな顔をしているのだろうと思った。相手の話を一言も聞き漏らさないぞと目を開き構えていた緊張感は全く影をひそめていた。あの時、年齢以上にしっかり者に見えた彼女は、今は年相応の可愛い女の子になっていた。あの時のしっかりしすぎた顔つきも、その子の個性かも知れないが、穏やかな表情の方が似合っていた。都市部で暮らすお子さん達の緊張感は、僕などには想像できないのだが、落ちこぼれることが許されない大人社会を投影しているのだろうか。競争が激しくなく、町全体が落ちこぼれているようなところで育つ子供達は、落ちこぼれている感覚が薄い。みんなで落ちこぼれれば怖くない?それは結構貴重な救いなのかも知れない。就職初日に辞表を書き、行くところもなく帰ってきた僕を受け入れてくれた気取りようもない海の匂いを、都会であえぐガンバリ屋さんたちに届けてあげたい。 連休で家族揃って訪ねてきてくれたが、その事にもまして嬉しいことがあった。あの地のお土産は結構定番が多くて、明太子、ラーメン、ひよこまんじゅうなどだが、あの素敵な家族には胡月堂と言うところのぎおん太鼓というパイ?を頂いた。どうして僕が洋菓子派と分かったのだろう。あの見開いた目で見抜いていたのかな。