当て逃げ

 横浜の鶴見区に住んでいる姉が、いみじくも人口7000人の町に住んでいる僕と同じことを言った。両極端の環境に住んでいる人間が同じ感想を持つのだから、この国の恐らく何処に行っても同じようなものなのだろう。いい悪いではなく、仕方ないのかも知れない。成熟とは、新たな挑戦や危険を冒さないことにも通ずるのだろうから。  交差点で信号待ちをしているとき、目に入ってくる人の7割くらいは私くらいか、あるいは年上の人だって言うのだ。牛窓の場合、9割と言っても良いかも知れないが、大人、あるいは老人ばかりという印象は共通だろう。大都会でも若者が少ないのだ。  ここまで書いて夕食を食べながらニュースを見ていたら、何と15才未満の人口構成比は15%を切っているらしい。なるほど、ほとんど大人ばっかりなのだ。子供が目に入らなくて当然だ。完全なる逆ピラミッドだ。道理でギラギラしたものがないはずだ。これだけ少数でパイを分けあえば、誰だって東大にも行けるし、俳優や女優になることも出来る。歌手なんて片手間でもやれるし、医者もやりたい人がやるようになる。ほどほどの努力で争う必要もない。  人口減は地球環境には朗報だ。今まで贅沢を極めたのだから少しは貢献しなければならない。老化とは排出が出来なくなることだから、国の老化も人間と同じように地球には優しい。どんどん消費して熱量を生産し滓を捨てるのは若者の特権だが、老いた人間や国には捨てる滓も出ない。ただ、次なる世代に残してしまったのは、莫大な借金と莫大な紙おむつと、汚れた空気と、溢れる海面と、希望のない朝。歴史の当て逃げは許されない。