敗者復活

 現実を知って愕然とすることはこの所とみに増えてきたが、今日の出来事はその中でもダントツにショックだった。何気なく見つけた鉄棒にぶら下がり、懸垂を試みたのだが1回も出来なかった。何年来、鉄棒にぶら下がるようなことはなかったから、いつから出来なくなっていたのか分からないが、ほとんど腕が曲がる気配もないくらい無力だった。ただ、バレーボールを3年前に辞めた頃なら恐らく出来ていたのではないかと思う。20歳代の青年とコートの上では同じようなことが出来ていたから。バレーに腕力は余り必要ないのかも知れないが、それでもアタックの振り下ろしはスピードがものを言うから、筋力も必要だろうし、その動作の繰り返しで筋力も付いていただろう。  転げるように坂道を落ちだしたら、明日さえ分からない。明日の自分が想像できないのだ。何処が衰え何の機能を失うのだろうと不安になる。日々成長し、毎日出来ることが増えていった頃とは雲泥の差だ。その喜びを自覚することなく、ただ自然に与えられるものと感謝もせず、空や海が今日も明日もあるように、健康がずっと保証されるかのように思いこんでいたあの頃がまぶしい。罪深いほど生命力を信頼していた。  腕力だけが選ばれて落ちることはない。恐らく体中の筋肉が落ちているのだろう。身体の動きを支配するもの、熱量を作り出すものとしてとても大切なものだ。指をくわえてみている手はないと一念発起して掲げた目標が、今年中に懸垂が1回出来るようになること。寂しいけれどこれが現実なのだ。朝の空気が美味しかった中学校の校庭で、一度は心が折れたが、敗者復活戦もありだろうとかすかな希望を抱いた。