今日話した若者達へ

 何の工事が始まったのか、目の前にある給食センターの大屋根を越えてかなり高くキリンの頸のようにクレーンが顔を出している。ああ、あんなのが3車線の道路に倒れて車や人を直撃したのだと数日前に何回か流された映像を思い出した。無警戒なところに倒れてきたらひとたまりもないだろう。意識がない方の幸運を願うが、その悲劇の何十分の一も、何百分の一も悲惨さや悲しみが伝わってこない。溢れんばかりの事故や事件の報道に接して、心は完全にマヒしている。喜びも悲しみも共有できる感性を失っているのだ。 カーテンの隙間からもれる光に浮かび上がる無数の小さな埃の一つずつに尋ねてみたい、幸せなのかと。浮遊する魂の着立地点を持っているのかと。わずかな空気の揺れにさへ、人生を揺すぶられてしまう危うさの中でしがみつくものは持っていないのかと。物音一つ立てず、息をひそめて生きていくのかと。  活字にならない不幸も繁殖している。比較を知らない不幸が繁殖している。本当は隣り合わせにいるはずの喜びを知らない不幸が繁殖している。時計の針が追いつかないほどの速さで時間は走り去り、心は濁流にえぐられる。感じる心を失った僕みたいな低体温に昇る気流は起こせない。若さだけで希望なら、若さだけで希望なのだ。描けない明日があるから希望なのだ。失望があるから希望なのだ。回転する小さな埃でもあたる光によっては虹を放つ。漂流は流れに翻弄されることではない。漂流はいつかきっと流れ着くことなのだ。さあ、あなた自身の尊厳にしがみついて、オールを捨てて。