木戸銭

 1日200円以下で暮らしている人が、地球上で30億人いるそうだ。こんな記事に触れるといつも複雑な気持ちになる。平生何も考えずに過ごしている後ろめたさと、何も出来ない無力感。贅沢は極力避けているつもりだが、彼らに比べれば犯罪的な贅沢だろうし、偉い人達にお願いでもしたらと思うが、読まれもしないものを出したくもないし、もとより彼らの方がプロでそんなこと分かり切っていると一蹴されるのが関の山だ。  市会議員の選挙がもうすぐあるらしいが、4年に1度だけ顔を見せに来る図々しい輩が多い。その間何をしていたのかさっぱり分からない。田舎だから顔くらいは見るのだが、近寄っても来ない。僕はおべんちゃらは言わないから、いやいや逆に批判が多いから近づきたくもないだろうが、それならいっそのこと筋を通して選挙期間中は意地でも近寄らないくらいが潔い。候補者の中に残念ながら惚れ込むような人物はいない。牛窓に帰り一時政治に関わったことを今更後悔する。思い出したくないことの一つになっている。期待してはいけないものに期待し、小さな幻想を抱いてしまった自分が恥ずかしい。反動で冷めすぎるくらい冷めたが、この方が遙かに居心地がよい。頼まれもしないのに投票したいほどの衝動に駆られるような経験をついぞすることもなかった。4年に1度の猿芝居に付き合う余裕はない。木戸銭は焼け付く大地に、枯れた井戸に。