個性

 「この数年間、何だったのかと思いました」とお母さんはせきを切ったように泣き始めた。お子さんは小学校から恐らくほとんど外に出ていないのではないか。処方箋でルボックスを取りに来るから、社会不安障害とかなんとかの病名でもついているのだろうか。医師にも一度か二度しか顔を見せていないと言う。母親が思いだしたように処方箋を持ってくるから、当初は勝手に飲みたいときに飲んでいたみたいだ。一ヶ月分の薬が数ヶ月持っていたからこれでは治療効果が出ないと、薬剤師的な発想でもっと真面目に飲んでみるように勧めた。その事は理解してくれてその後はかなり真面目に飲んでいた。それでも薬の効果は見えなかった。  昨日その医師の最後の診察らしくて(栄転)お子さんが今まで口に出来なかったことを紙に書いて質問したそうだ。勿論自分の病状についてだと思う。その手紙を委ねられたお母さんに医師は「何を尋ねたいのか分からない」と答えたきりだったらしい。その場で思い浮かんだ感想が冒頭の言葉なのだ。まだ成人していない人が自分の状態を客観的に旨く表現できるかどうか疑わしい。だけどその切実な訴えに答えようともしない医師に失望、いや、怒りを抱くのも当たり前の話だ。恐らくそんな医師に数年も希望を抱き続けた自分自身に腹が立ったのではないか。  処方箋を持ってくる患者さんに対して薬局は無力だ。薬局に期待されるのは、真面目に飲んでもらうこと、副作用を見つけることくらいだ。たった、それだけのことなのに報酬は結構つく。そこが又やりきれない。医療は絶対効果的なものという暗黙の了解の上に立っている。どれくらいの確率で医療に救われているのか知らないが、効を奏さずに医療機関をはしごする人も沢山いる。そんな人の受け皿が今は少ないのではないか。薬局が全てそれになれるとは言わないが、少なくとも漢方薬を本気で勉強している人間なら、いくらかは期待に応えられる。処方箋を僕の所に持ってきたばっかりに、僕から漢方薬を勧めることが出来ない。どこかで心のトラブルにも漢方薬がよく効くってことを耳にでもしてくれたらお母さんの方から依頼されることも可能なのだがと、ずっと思っていた。残念ながらその種の気付きには巡り会わないみたいだが、落としていった涙で治るはずもない。  僕は専門家ではないから何処までが個性でどこからが病気か分からないが、どうも現代医学は個性までも抗ウツ薬や安定剤で治そうとしているみたいな気がする。だからいつまで経っても治らないし、薬と縁が切れないのだと思う。画期的な薬が発明されて多くの心のトラブルの方が治る日が来て欲しいが、それまでに一人でも二人でも、良い個性だから陥っていた穴から脱出する手伝いが出来たらと思う。