笑った、笑った、大いに笑った。僕と30代後半の男性二人が、机を挟んで大声で笑っている姿は、居合わせた人達にどう映ったのだろう。それでもお構いなく大声で3人で笑い続けた。  岡山県を担当していたある製薬会社のセールスが、ここで交替することになった。その引継でやってきたのだが、最近気になることがあったので尋ねてみた。  僕が漢方の勉強を始めた頃、県内でも有名な漢方の先生がいた。その方があるお気に入りの健康食品を僕に売り込むために、つい最近やってきたのだが、その時に丁度風邪の患者さんが入ってきた。僕が問診して薬を出そうとすると、目配せで処方を僕に教えた。丁度売り込みに来ている健康食品と漢方薬の組み合わせだった。勿論僕はそれを無視した。ヤマト薬局は漢方薬局ではない。田舎の単なる薬局。それ以上でもそれ以下でもない。だから風邪を治すのに漢方薬を必ず使うなんてあり得ない。まして健康食品なんか絶対に使わない。その方の症状はかなり軽かったから、ヤマト薬局の自家製剤(化学薬品)1000円ですませた。僕の薬局では当たり前の光景だ。高額商品を売ることに血眼になっている人達から言わせば、能力がないように思われるかも知れないが、泥棒みたいなことはしたくない。しなくてもいいから仕事が楽しい。仕事にノルマも目標も何もない。話がそれたが、大先生(?)は、どうも25年前の僕との関係をそのまま引きずっているのではないかと思った。あれから25年僕はかなり勉強した。運のいいことに多くの方が来てくれる薬局だから、実際に勉強したことを試す機会はよそよりかなり多かったと思う。その結果が今の仕事の内容になっているのだが、それはどうも理解できないらしい。今でも青二才のままなのだろう。目の前にいる男は、もう充分老け込んでいるのに。でも逆にその大先生は結構若かった。僕が年齢では追いついているようにも見える。それにしても以前にもまして自信に溢れていた。  このエピソードを二人のセールスに話すと、かなり納得していた。さもありなんと言ったところなのだろう。出ていく方のセールスは、その大先生の薬局の前を通ると、石を投げるか車をつっこんでやろうかと思うと言っていた。(ここで笑いが止まらなかったのだ、よほど以下の理由で腹に据えかねていたものがあったみたいだ)僕は知らなかったが、マスコミも旨く利用し、相談に来た人には何万円も売ったりと、なかなか庶民のセールスには不可解に見えるらしい。でも、高級車より高い腕時計を見せびらかすくらいだから、1000円で風邪を治したのでは、追いつかないだろう。  25年間、僕は漢方薬の勉強と同時に「謙遜」を学ぶことが出来た。なるほど今でも大先生に力は及ばないのかも知れないが、もっと大切なことを学んだ。僕には本当に心から尊敬できる先生がいて、漢方薬の知識と共にその謙虚さも教えて頂いた。永久に越えられない、越える必要がない師にいくら感謝してもしきれないが、今回のエピソードの中で僕の幸運を再確認した。  僕に漢方を教えてくれた二人の年齢の近い先輩は既に亡くなった。ちょっと先を歩いている目標にしていた二人だった。元気だったら、もっともっと沢山の人のお世話が出来ていたのにと悔やまれる。一人は死後何日も経って発見された。亡骸の傍には、インスタントラーメンの空になった容器が一杯散乱していたらしい。彼も、もう1人の方も、口をそろえて漢方を教えるけれど高く売るなと25年前僕に言った。一人は具体的に1日分が400円と数字まで出した。幾種類かの薬が必要な人は仕方ないが、僕はその数字を越えないことをずっと考えてきた。きっと、おごるなと言う戒めだったのだ。二人が僕にくれた言葉、越えられない存在、謙虚を学ぶには十分すぎる存在だった。  人を判断するのは、その人が優位に立っているときに、相手にどんな態度をとるかで簡単に分かる。岡山を去るにあたって、彼が観察していたことが、彼の心のガス抜きになったかどうか分からないが、二人で笑いながら出ていったから、見送る方も気が楽だった。みんな懸命に自尊心を押し殺して耐えているのだ。