故障

 特別養護老人ホームに入居している方のお正月分の薬を作らなければならなかったのに、今日2度も調剤用の機械が故障した。100人以上の薬を、朝は朝、夜は夜といくつもの薬を1つの袋に集めて飲み忘れがないように調剤しなければならない。時間さえあれば人の手作業でも出来ないことはないが、わずか1日で作らなければならないから、かなり性能の良い機械に頼らざるを得ない。同じ作業をするとしたら人間の何人分にあたるだろう。そのくらい性能の良い機械がある。  性能が良くなればなるほど、不具合も起こりやすくて、時に補修の専門の技術者に頼らざるを得ない。今日は午前と午後、2回岡山から来てもらった。幸運だったのは、もう仕事納めをしている会社だったのだが、念のため一人を待機させておいてくれたことだ。おかげで、助かった。手作業では徹夜しても間に合わないだろうから、責任を果たせたことを嬉しく思うと共に、技術畑の人に感謝だ。いくら性能が良くても、機能しなければただの物体。便利さが分かっている分だけ落胆も大きい。もし嘗てのように手作業ですることになれば、果たして忍耐が持っていたかどうか。規模は違うが、東京でくしくも今日新幹線が動けなかったらしい。技術の粋を集めたものでもその様なことがあるのだ。その時に乗客の人はどのくらいの忍耐でもって接したのだろう。切れた人もかなりいたみたいだから、なかなか寛容の心を持つのは難しい。  便利さになれすぎて、ありがたさに無関心になっている。偶然のトラブルは鬼の首を取ったが如くに攻撃材料にして、日々の99%以上の便利さには感謝の心すらない。どこでどう間違ったのか、権利意識だけが増長し、手に入れることだけに奔走する。手放す勇気も手放す愛も持たず、墓石の下に御殿を建てる。今年も又、多くの方々に助けられた。僕が役に立てた何倍も助けられた。いつまでたっても、何歳になっても、与える側には立てない。情けないものだ。