偶然

もう一つのクリスマスプレゼント。  偶然がいくつも重なって、とても素敵なクリスマスプレゼントを頂いた。  ある女性の友人が、僕の漢方薬を飲んでいた偶然が一つ。いやいや、それよりも前にその友人が牛窓に働きに来た際、偶然僕の薬局に入ってきて、以後何があっても頼りにしてくれるようになっていたことが二つ。その女性がかかっている総合病院で担当医が事務的すぎて治療を拒んだことが三つ。僕が頼まれてC型肝炎の世話を漢方で始めたのが四つ。総合病院の同じ科で働いていたのが僕の息子という偶然が五つ。その女性が息子に好感を持ってくれたことが六つ。世の中全てがこんな調子なのだろうが、こじつけて考えてみるとなかなか面白い。  C型肝炎の治療法もずいぶんと進歩して、嘗てインターフェロンの治療を脱落した彼女でも可能性があるらしい。何を思ったか、息子が治るって力強く言ったものだから、その女性は再挑戦を決意したらしい。インターフェロンの副作用はほとんど僕が漢方薬で補ったものだから、かなり快適に?治療を受けることが出来た。薬でウイルスを叩いて、今月までにウイルスが復活しなければ完治らしい。偶然にもその結果がクリスマスイブに分かることになっていた。  お昼過ぎ彼女から電話がかかってきた。声の明るさで結果はすぐに想像できたが「○○先生に素敵なクリスマスプレゼントを頂いた」と伝えられたときはとても嬉しかった。勿論彼女が長い不安のトンネルから抜け出せれたことも嬉しいが、息子が人様の役に立てていることも嬉しかった。漢方薬でウイルスを叩くことは出来ないから、なんとか彼女が治療を放棄することだけはさせまいと努力した。そうすることによって息子にも良い結果がもたらされたらと思っていた。息子が特別な何か医学的な能力を持っているわけではない。現代医学の成果を一人の繊細な女性に届くように思いをぶつけただけなのだろう。その心が届いた。その思いを育てたのは唯一の取り柄のスポーツ馬鹿なのではないか。  いつどこで現代っ子が精神を鍛えるのか分からない。どの様な手段があり、どの様な巡り合わせがあるのか分からない。でもいつかどこかで精神を鍛えられ豊にされなければ人様の役には立てれない。僕は彼が今の職業に必要な心を得た時を知っている。本人は勿論家族も辛い時期だったが、それなくしては今の彼は語れない。  目を覚ました僕の枕元には脱ぎ捨てた靴下が散らかっていた。その中にプレゼントは届かないが、電話のベルはジングルベルのように僕の心まで鳴り響いた。